検証誌143号 おふかんつ実12

検証ほつまつたゑ

検証ほつまつたゑ

ホツマツタヱ研究の専門同人誌・
『検証ほつまつたゑ よみがえる縄文叙事詩』

第143号(令和8年2月号)に
掲載していただきました!

本当にいつも
ありがとうございます🥰

今回も
ホツマツタヱをもとにした
『小説』を投稿
しています。

天照大神の父母である
イサナギ・イサナミ
を描く連載の第12回です。

↓前回まではこちらにまとめています。

おふかんつ実
『検証ほつまつたゑ』に連載している 小説「おふかんつ実」の全記事リストです。

おふかんつ実 その12

《ホツマツタヱ異文小説》

水濯(ミソギ)

ほのほのと明ける朝日が
巌の隙より細く差して
イサナギのオモテを白く照らした。

黄泉ヨモツサカでは磐境カギリイワとなった大岩に
身体ヒトカラを横たえていたイサナギは

すこし顔をしかめて光に手をかざし
ゆるやかに瞳を開いた。

まだ眩んではいるが
黄楊櫛ツゲクシの火がなくとも

差しこむ光によって
イワオのすみまで見渡すことができた。

六代天神ムツヨアマカミ行宮ユキミヤと聞いてはいたが
もとは神祀りの社だったのだろう。

大岩を積みあげて、時を読むという造りは
八元神ヤモトカミ(二代天神)まで遡るものである。
いまではもう、このような社を築くことはない。

黒い鳥の鳴く声も聞こえない。

夜のうちに、闇とともに
どこかへ去ってしまったのだろう。

起きようとしたら、足が痛んだ。
ツルギでわが身を削いだ跡が
赤くらんでいる。

血が止まっているのは
黄泉の境でイサナミが
アシを巻いてくれたからだろう。

葦も、そして剣もなくなっているが
イサナミが触れた手の温かさはまだ残っている。

「イサコ……」

なき妻の名が、口から漏れた。

言断ちを遂げて離ればなれとなった
ウルワしきひとの名を、しかし
いつまでも呼ぶわけにはいかない。

紀伊半島ソサ奥野クマノをひらいた母なるカミ
弥山みやま分水嶺みくまりをひらいた母なるカミとして

ミクマノノカミ御熊野神』とでも呼んで
この地に祀ることとしよう。

「ならば、わたしは……」

イサナギは袂に手をいれて
「桃の種」を取りだした。

おおくの守の、おおきな罪を
背負った物実モノザネとして
オフカンツミ負神罪』と名づけた種である。

なき妻を追いかけて神往カミユキをしたのは
「みずからマカる罪」であった。

御祖ミヲヤの教えを鑑みることなく
御祖の心を曲げるという罪を犯したわたしは
マガツツミノカミ枉罪神』とでも呼ぶべきではないだろうか。

アワウワヤ、とヒヨルコの声が聞こえた。

姿を見ることはできないが
いまでもすぐそばに居ることは
イサナギにもよくわかった。

「優しい子だね、ヒヨルコは。
 こんなわたしも、慰めてくれるんだね」

女の子には
父の汚穢ヲヱが降りるという。

ヒヨルコは
ハヂを背負ってアワとなり
アシ舟に乗せて流した。

わたしがまた罪を背負ってしまえば
汚穢がふたたびヒヨルコに降りてしまうかもしれない。

こんなにも優しく愛しいわが子に
そんなことができるだろうか。

否。否!
それだけはできない。

「ならばせめて
 『イサナギ』という名に恥じぬよう
 生きなければ……」

伊佐川イサカワのほとりに
イサ宮をひらいたのも

イサナミの斎名イミナである
『イサコ』に寄せてのことだった。

これは豊受大神の考えでもあった。

イサ宮にてイサコと結ばれて
『イサナギ』と称えられたが

言断ちを終えたいまでは
名ばかりといえるだろう。

しかし、イサナミは
男女キミ」ではなく「君主ギミ」として
生きる道を残してくれた。

ならば、たとえひとりとなっても
いざよう波のごとき世を「イサめ」
猛き渚を「ナギのごとく」治めることができたなら
名にし合うといえるだろうか。

アワウワヤ、とまたヒヨルコの声がした。

「あぁそうだった、ひとりではない。
 ヒヨルコや、ヒルコ、そしてハナキネもいる」

親の汚穢隈ヲヱクマを負わせてしまったこの子たちに
さらなる罪を負わせるわけにはいかない。

イサナミはクマノ宮にて
世のクマをその身に受けることで
民とわが子を守った。

しかしその身が
汚穢隈ヲヱクマで満たされたがために
なくなったともいえる。

六代天神ムツヨアマカミのオモタル・カシコネが
子のないままになくなったのも

物奪う民を斧で斬り治め
その身に汚穢隈ヲヱクマを受けたからともいえよう。

わたしもこの罪により
この身が汚穢隈ヲヱクマで満たされたなら
やがては命をツミすることとなるだろう。

「民と子と、ともに生きなければ……」

イサナミはその身に受けた汚穢隈を
シヰとともにシコメが枯らすことで
天元アモトへ還った。

わたしも身削みそぎにより
肉体シヰを捧げてともに往こうとしたが

これこそがわが罪となり
おおいなる過ちとなった。

罪を、忘れることはない。
そのための『オフカンツミ』である。
しかし、罪の汚穢隈ヲヱクマは祓わねばならない。

民のため、子のため、
それだけは成さねばならぬ。

天御祖神アメノミヲヤよ。わたしは天の願いに
 応えることができませんでした。
 それでもわたしが、いま生かされていることには
 応えたいのです!」

イサナギの祈りが
イニシエの巌にとよんだ。

その声により
岩肌を湿らせていた朝露が
ひと粒のしずくとなって
イサナギの鼻さきに落ちた。

朝露は髭をつたって
イサナギの首筋をなめる。

ミツ……」

差しこむ日が強くなり
巌のうちを明るく照らした。

磨かれた大岩は鏡となって
さらに光を輝かせる。

原見山ハラミヤマ[富士山]でみた朝日のように
イサナギにはすべてが輝いてみえた。

水濯ミソギせよ……」

イサナギの口から声があふれた。
これがおのずと出たものなのか
御祖ミヲヤの教えなのかはわからない。

ただ思い出すのは
原見山ハラミヤマ[富士山]の池水で
目のアカを濯いだことである。

これにより、世の嗣子つぎことなる
ワカヒトを授かることができた。

豊受大神もこのとき、
アカ児を願って八千回の水濯ミソギを行ったという。

海や川の水で濯ぐことで
身のアカを落とし
身をアカしたのだろう。

「イサナミという『』をなくしたわたしが
 『』で濯ぎ、『』を『』たすというのか。
 身の垢を落とし、心のれを満たしたならば
 わが汚穢隈ヲヱクマソソがれ、清きものとなれるだろうか」

巌のうちを照らす光は
ほどなくおさまった。

わずかに日が昇り
大岩の隙を通れなくなったようである。

痛む足もそのままに立ちあがると
高天原の神々に告げるように
イサナギは声をとよませた。

「これよりモトツ宮[熊野本宮]へと帰り
 音無川オトナシカワ[熊野川]にて水濯をなしましょう。

 イサナミを黄泉の境まで追いかけて
 追徒為オウトナシ夫無オウトナシ)たわたしは

 妻のように川辺でハタを織ることもできないので
 大人オトナしく(音無オトナシ)ただ静かに居ることにします。

 アワウタを歌うこともなく
 花を味わうこともなく
 ただ、身を濯ぎます」

罪と汚穢隈

弥山より流れる
天ノ川あまのかわ北山川きたやまかわが交じりあい
音無川オトナシカワとなる。

北山川は
北の山より来たる川なので
名の通りだが

天ノ川のほうは
「天」というには川下であった。

そのため
クマノ宮[玉置神社]あたりから
音無川と呼ばれるようになっていた。

クマノ宮の南の麓に
モトツ宮[熊野本宮]がある。

イサナミとソサノヲが籠ったクマノ宮を
イサナギがひとり離れて見守るための
麓宮モトツミヤであった。

モトツ宮にて水濯を行うため
イサナギはまず罪を三つ削ぎとした。

『オフカンツミ』を
『オフ』と『カン』と『ツミ』の三つに分け
それぞれに司る神名を生む。

『ツミ』は
おおくの過ちや曲がりを
ツミする願いをこめて

ヤソマカツヒノカミ八十禍津日神(祖素魔勝槌神)』となし
これはイサナギが担った。

『カン』は
両神フタカミの過ちや曲がりを
直すという願いをこめて

カンナオヒカミ神直日神』となし
これはハヤタマノヲが担った。

ハヤタマノヲであれば
タマとシヰの繋がりを調えて
心のクマをも祓ってくれるだろう。

『オフ』は
大いなる御祖ミヲヤの教えによって曲がりを
直すという願いをこめて

オオナオヒカミ大直日神』となし
これはコトサカノヲが担った。

コトサカノヲであれば
言の葉によって民との懸け橋となり

いさかうことのないよう解き結ぶことで
身の汚穢ヲヱを祓ってくれるだろう。

闇に差す日のごとくに
ツミ汚穢隈ヲヱクマを祓うという

三神の日霊ヒルによる「三削ミソギ」をも
水濯ミソギ」のひとつとして定めたのである。

イサナギの水濯は
ただ静かに居るというだけではなかった。

御食を減らし
人と合うことや話すこと
歌うことやカダガキを打つことを止めた。

忌社イミコヤに籠って
すべての行いを慎んでいった。

ハヤタマノヲとコトサカノヲは
イサナギに代わって
世の事々を計らうカミでもあった。

コトサカノヲは
イサナギと会わないようにしながら

御衣を濯ぎ、床を整え、
火を用いない御食を作るなど
身の周りに仕えた。

ハヤタマノヲは
音無川の河口にある磐盾イワタテ村に
新たに宮を築いて政事マツリゴトを執った。

イサナギを訪ねるものがあれば
新宮ニイミヤにてハヤタマノヲが応え
モトツ宮まで通すことはなかった。

しかし汚穢隈ヲヱクマ
イサナミを想うほどに深まっていった。

シムムシウグメいて
イサナギをムシバんでいく。

サワめく心を、
弥山みやま川水かわみつが冷ましてゆく。

それはこの地にけたイサナミが
イサナギの汚穢隈ヲヱクマをもかしてゆくようだった。

赤くらんだ足が
川水により濯がれ、清められてゆくと
赤みも引いて痛みもおさまっていった。

アシは「アシ」にも通じるので
足が治って「良し」となるまで
イサナギの水濯ミソギは続けられた。

筑紫へ

ハヤタマノヲの新宮ニイミヤ
訪ねるものがあった。

御前みまえ窟屋イワヤには、さきに訪うてきました。
 かなしいことですな。
 いまでもナンタが枯れることはありません」

そういって袖で涙を拭いているのは
ナカ国[近畿地方]とアシハラ国[山陽地方]を治める翁
カナサキ[住吉大神]である。

おおきな手で膝を打つと、

大殿おおとのが水濯を終えるまで
 ここでひとり泣き濡れておりますぞ」

といった。

「いつ終えるとも知れない水濯です。
 ここで待たれていては
 ナカ国の臣が道に迷うのではないですか?」

「いやいや、ヒルコ姫とはいかずとも
 わが娘アキコも育っております。

 住江スミヱ[河内湾]の宮は任せてきました。
 政事マツリゴトを学ぶよき試しとなるでしょう」

「アキコ姫さまのことは
 わしやちも聞いております。

 鴨舟カモフネに乗れば男も追いつけないほど速く
 歌を詠めば色めく女心を映すそうですね!

 西宮ニシノミヤではワカヒルメさまと
 五七ヰナの歌を綴って遊んでいたとか」

カナサキはおおきな身体を縮めながら
涙の浮かぶ目を細めてすこし照れると
続けてこういった。

「ヒルコ姫はいま、どこに居られる?」

「クマノ宮です。
 弟のソサノヲさまがいまだ心を痛めておりまして
 側についておられるのです」

「若君も苦しんでいるのだな……」

紀州キシヰの臣として、皇に仕えるものとして
 わしやちはソサノヲさまをたすけます」

「全きだ。
 わたしも叢雲ムラクモを祓いますぞ」

ふたりが頷き合っていると、広間の戸が開いて
イサナギとコトサカノヲがはいってきた。

「カナサキ翁らしい言葉だ」

「おお、イサナギ殿。
 水濯を終えられたのですな!」

「わが身の枯れを濯ぎ
 永らう道を見つけました」

髭を剃り、髪を結いあげ、
天神アマカミ御衣ミハに袖を通したイサナギの姿は
勇ましく、そして清らかであった。

「良き顔をしておられる。
 殿、櫂引カイヒきをしましょう」

「よし、いいだろう」

「お止めください。
 まだ水濯を終えたばかりです」

コトサカノヲが呆れていると、
イサナギはみずから動いて櫂を持ちだした。

櫂引きとは、
たがいに櫂の端を持ちあって
投げるという力比べである。

「このほうが、ヒヨルコも喜ぶ」

「すわ、ゆきますぞ!」

櫂足をカナサキが持ち、
えいと力を込めた。

するとカナサキのほうが浮きあがり
床に投げ出された。

「驚いた!
 わたしが倒れている!?」

空を仰ぐカナサキに
イサナギは手を差しだした。

「臣に尽くされるばかりの
 わが身ではないようだ」

「大殿、天晴れでございます」

手をつかんでカナサキを起こしてやると
イサナギは櫂をそのままカナサキへと渡した。

「西の海より客人マロヒトがあり
 筑紫ツクシの民が沸いているそうだな。

 よく知らせてくれた。
 わたしが行こう。

 ヒヨルコにも
 アワ国を見せてやりたいと思っていたのだ」

辻風が吹いて
潮の騒めきが新宮まで届いた。

もとつみや いなしこめきお
そそがんと おとなしかわに
みそきして やそまかつひの
かみうみて まがりなおさん
かんなおひ おおなおひかみ
うみてみお いさぎよくして

ホツマツタヱ 5アヤ

(つづく)

解説

ヲシテ文献の空白部分を
想像力によって補ってみようという小説企画です。

「異文」としているのは
あくまで可能性のひとつということです。

今回は、イサナギの禊のシーンです。

古事記・日本書紀においても共通しており
神社で奏上される「祓詞」にもなっている
重要な場面といえます。

一般的には
「黄泉のけがれ」を祓うために
禊を行ったとされています。

しかし
黄泉そのものが穢れていたのか
妻とのやり取りによって穢れたのかは
よくわかりません。

そもそも「穢れ」というものが
垢のように身体に付着するものなのか
心から生気を奪うもの(氣枯れ・疲れ)なのかも
よくわかりません。

ホツマツタヱでは
「ケガレ」という語句が登場するのは
7アヤ以降です。

7アヤ以前は
「ヲヱクマ(汚穢隈)」
が使われています。

「ヲヱ」は身体の障り
「クマ」は心の障りといわれるので
現在の「穢れ」ともよく似ています。

「禊」は
みずそそぎ」が由来だといいます。

ホツマツタヱでは
豊受大神がはじめに行いました。

その候補地である鳥海山には
「大物忌大神」が祀られており
「豊受大神」の異名同神とされています。

「物忌み」とは、
祭祀にさきがけて穢れを遠ざけることで

日常的な行為をつつしみ、
沐浴で身を清め、
ときには斎殿に籠って
外界との交わりを断つといいます。

これを「潔斎けっさい」ともいうそうです。

禊を終えたイサナギは
「イサギヨク(潔く)」なった
とあることから

イサナギも
物忌・潔斎を行ったと考えました。

イサ・・ナギが・・くなる」が
いさぎよい」の語源なのかもしれません。

「キシヰ」の由来が「静かに居る」
「大人しい」の由来が「音無し」であることも
理由のひとつです。

禊の聖地「モトツミヤ」は
熊野本宮大社の旧社地・大斎原おおゆのはらとしています。

大斎原は中洲であり
西からは音無川が注いでいます。

かつては音無川で身を清めなければ
神域に入れなかったそうです。

こうしたことから、
熊野川のことを「音無川」とも呼んでいたといいます。

小説では、
イサナギの禊の理由を「罪」としています。

オフカンツミ負神罪」を濯ぐため
オオ」「カン」「ツヒ」の三神を生み

オオナオヒ大直日」は「汚穢ヲヱ」を
カンナオヒ神直日」は「クマ」を
ヤソマガツヒ八十禍津日」は「ツミ」を

それぞれ祓う役職名だった
としています。

「ミソギ」の
「ミ」が数詞表記の写本もあり

「三神」による
三削ミソギ」の意味もあるようです。

身を清める「水濯ミソギ」が
イサナギによって「ミソギ」という儀式として
大成していくというわけです。

ですがやはり「水」というのが
イサナギにとっては天啓だったと思われます。

「アシ(足・悪)」を
「水」で直したことがのちに

「イナ(稲・否)」を
「水」で育てることにも
繋がったのではないでしょうか?

みなさまの研究の一助となれば幸いです。

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おふかんつ実 その13 へつづく

全記事リスト

おふかんつ実
『検証ほつまつたゑ』に連載している 小説「おふかんつ実」の全記事リストです。

掲載記事紹介

検証ほつまつたゑ掲載記事リスト
ホツマツタヱの研究同人誌 『検証ほつまつたゑ~よみがえる縄文叙事詩~』 に掲載いただいた記事の全リストです。

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