ホツマ歌壇
ホツマツタヱの研究同人誌・
『検証ほつまつたゑ よみがえる縄文叙事詩』には
読者が投稿した「歌」が掲載される
「ホツマ歌壇」のコーナーがあります。
和歌・短歌・長歌・俳句・自由歌など
五七調であればよいそうです。
第138号(令和7年4月号)には
ぼくの歌も掲載されましたので
当ブログでも
紹介させていただきます。

節句
今号のお題は『節句』で
「節会」「ゑもぎ」「よもぎ」
「すせり」「せり」「ちまき」
などを詠みこむことだそうです。
穢お祓ふ
穢お祓ふ ゑもぎのくさの たちのぼる 煙のなかお 鬼が逃げゆく
「蓬(よもぎ)」といえば
薬草として知られていますが
お灸につかう「もぐさ」も
蓬の葉の裏の綿毛をあつめて
作られるのだそうです。
「燃える草」から
「もぐさ」になったとも
いうようですね。
ホツマツタヱでは
「よもぎ」のことを
「ゑもぎ」ともいいます。
「ゑ」とは「汚穢」のことで
「もぎ」とは「捥ぐ」の名詞化でしょう。
「穢れをもぎ取る草」
というような意味でしょうか。
そんな草から作られたので
「もぎくさ」が転じて
「もぐさ」となったのかもしれません。
「ゑもぎ」の「もぐさ」の煙によって
悪鬼(穢)が燻し出されている
というような歌です。
藤蔓お
藤蔓お ハラミに巻くは 腹帯か ささ迎ひして 茅巻なるかな
ホツマツタヱでは
富士山はもともと
ハラミ山といわれていました。
天上の高天原と
地上のひとびとが暮らす原を
ともに見ることのできる山
という意味だったようですが
イサナギ・イサナミはここに
「孕(はらみ)」の意味を掛けて
世継ぎ子が産まれるように祈りました。
こうして生まれたのが
太陽の化身ともいわれる
男神の天照大神です。
日の力がもっとも強まる
五月五日に
ウタの呪力と粽によって
反乱軍の頭領を破りました。
この功績にあやかって
酒(ササケ)の席でも
「ササッ」と声を掛けて
酒を勧めることで
邪を祓うという風習が
できたようです。
またここから
子どもを授かったさいには
妊娠五か月目に腹帯を締める
という風習も生まれたらしく
妊娠した幸腹(さちはら)
に腹帯を巻くことからこれを
粽(ちまき[サツサ餅])に掛けて
幸巻(ちまき)といったようです。
時代がくだって
七代天皇の世にはあらたに
富士山の名がつけられましたが
これはひとびとから
藤蔓が献上ことに由来する
というのですが
これはフトマニ図から
紐解いてみればまさに
富士山に腹帯を巻いたような
形となっています。
須賀川にて
須賀川にて 身おすすぎたる スセリ姫 海は知らねど 沢の蟹とり
スセリヒメといえば
ソサノヲの娘にあたるのですが
ホツマツタヱではただ
名のみを記すばかりで
事跡などはありません。
スセリという名から
清らかな姫であっただろうことや
薬草にも通じていたかもしれないことが
読み解けます。
スセリヒメという名はほかに
ソサノヲの末裔で
コモリ(子守神)の娘にいます。
こちらのスセリヒメは
天照大神の曾孫・海幸彦に
后として嫁いでいます。
海幸彦といえば
琵琶湖西岸のウカワ宮(白髭神社)
で暮らしていました。
薬草の「スセリ」に通じており
これによって小児病のひとつである
「カニ」を治したという功績から
スセリ宮やシラヒゲ神と
称えられました。
ソサノヲの娘・スセリヒメは
そんな後世の同名の姫のことなど
知りもしなかったでしょうが
幼少期にはきっと
海から遠く離れた川辺にて
蟹(カニ)取りをしていたことでしょう。
春風に
春風に 撫でられむとぞ 競りたるや 川瀬の鵜おも 寿芹食むなり
「セリ」の語源のひとつとして
「競り」合うように生えるから
というのがあります。
その競り合う理由として
心地よい春風に撫でられるため
としてみました。
「春(はる)」には
「張る」の響きも掛かっていて
張り合うように伸びているという
心象風景でもあります。
海幸彦がセリで救ったのは
天照大神の玄孫にあたる
ウガヤフキアワセズです。
鵜葺草葺不合命とも
漢字表記されることから
「鵜」に例えられることも
あるようです。
ホツマツタヱでは
ウガヤフキアワセズは幼少期を
若狭のあたりで過ごしたらしく
景勝地の「鵜の瀬」もまた
ゆかりの地であるといえそうです。
伯父・海幸彦が用意した
薬草のセリを食べて
ウガヤフキアワセズは
小児病の「カニ」を治して
長生きすることができました。
身の汚穢の
身の汚穢の 笹の粽と 波の音の みな時待ちの ササのケを呑み
みのおけのささのちまきとなみのねのみなときまちのささのけおのみ
回り歌(回分の歌)です。
五月には
笹の葉で巻いた粽餅や
酒(ササケ)を呑んで
厄を祓うという歌です。
酒(ササケ)の由来といえば
竹(ササ)の笥(ケ[節])に
溜まっていた水に
雀の噛んだ籾がはいって
発酵して酒ができていた
というのですが
ここから
口噛み酒を考案して
当時の君主である
ウビチニ・スビチニに
捧げ(ササケ)たのは
スクナミというかたです。
スクナミはササケを醸したことから
ササナミとも呼ばれたようですが
これはいまでも
漣(さざなみ)という
枕詞としてのこり
琵琶湖の西南部をあらわす
といいます。
スクナミの暮らした
琵琶湖のさざ波の音に
思いを巡らせながら
お酒を呑んで
粽を食べているという歌です。
未掲載歌
このほかにも
未掲載となった投稿歌があります。
こちらに載せて
往生させようと思います。
ふる年よ
ふる年よ 伊吹の山に よもきたり もちならざれば ゑやは尽きせじ
百人一首の51番歌には
このようにあります。
かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを
百人一首 51番歌 藤原実方朝臣
琵琶湖の北東にある
伊吹山といえば
古来より薬草の宝庫として
知られていたといいます。
「さしも草」というのは
蓬のことだそうですが
こちらを
本歌として詠んでみました。
表面的には
伊吹山の蓬をつんで
蓬餅を作って厄払いした
というような歌ですが
古代の伊吹山で「世」を終えた
「モチ(ヒト)ならざる」もの
といえば
ヤマトタケ(ハナヒコ)のことです。
ヤマトタケは
伊吹山で受けた傷がもとで
なくなってしまうのですが
むしろそれは
ヤマトタケにしか
成し得なかったことであって
ヤマトタケの行動によって
皇統にひそんでいた
汚穢がそそがれ
皇室がこれほどまでに
長く続くきっかけとなった
のではないか?
というような
思いを込めてみました。
草薙の
草薙の 名も両神に あやかりて 葦茅ひきて 火を逃れなむ
こちらもヤマトタケの歌です。
「ゑもぎ」というのは
「くさなぎ」という言葉と
同義かもしれないと思いました。
「くさ」とは
腐る、臭い、草などなど
ネガティブなものをあらわす言葉です。
「なぎ」とは
イサナギ・イサナミにも掛かっており
凪、薙ぐ、和ぐなどなど
平定する治めるという意味があります。
イサナギは妻イサナミを
火によって失ったあと
「あしひき」を教訓として
川辺の「葦」を「ひき」ぬいて
水田となすことで
大いなる国へ導きました。
ヤマトタケは
川辺の「草」を「薙ぎ」
迫りくる火から逃れました。
またさいごには
伊吹山で傷をうけて
「あしひき」帰りました。
ホツマツタヱの40アヤをかけて
伝えたかったものを
「あや」「かりて」という
言葉にたくしてみると
イサナギの後悔といったものを
ヤマトタケが祓ったのかもしれない
などと考えてもみたのでした。
(おわり)
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