あーく煌々の天照大神講座

イベント

縁結界解

2025年11月9日(日)は
奈良の癒し屋・
あーく煌々(きらら)さん

が主催する

ホツマツタヱの勉強会
縁結界解(えんゆひかいかい)
において

講師を務めさせていただきました!
ありがとうございます!

奈良県の
大和郡山市商工会館(まいどホール)
での開催でした!

男神・天照大神

今回のタイトルは
天照大神は男神だった!?
~六甲山に眠る后・瀬織津姫~
といたしました。

一般的に
天照大神といえば
女神(女性神)とされています。

ところが
ホツマツタヱによれば

天照大神は
男神(男性神)となっています。

男性の君主ですから
后が存在します。

それが
大祓詞に登場する謎の女神・
瀬織津姫(せおりつひめ)
といわれるかたです。

夫と妻という
男女によって子が産まれる
という

人間的な命の営みが
ホツマツタヱでは描かれています。

記紀の事績

天照大神といえば
伊勢内宮のご祭神
として知られています。

ほかにも
・日本の最高神
・皇室の祖神
・国民の総氏神

などとされており
篤く祀られています。

ところが
古事記・日本書紀から
事績をたどってゆくと

イザナギの御子として生まれ
高天原の主宰神となったあとは

スサノオとの
誓約(うけい)によって
子をなしたこと


天岩戸(あまのいわと)に隠れて
ふたたびあらわれたこと


というのが
そのほとんどです。

そののちには
子や孫に助言をしたり

初代・神武天皇の東征を
夢告によって助けたり
などしてはいますが

これらの事績からでは
現在の崇敬に結びつくような
理由がいまいちわかりません。

伊勢の神宮祭祀の
はじまりにおいては

天照大神の御霊を宿した
八咫鏡(やたのかがみ)
を持って方々を巡ったことが
記されているのですが

なぜ
天照大神の御霊が
鏡に宿っているのか


いつ
三種の神器が
定められたのか


などなど
わからないことだらけです。

こうした疑問も
ホツマツタヱから
解くことができます。

アマテル

ホツマツタヱによると
男神・天照大神は

富士山のふもとで
元旦の朝日とともに生まれた

といわれています。

記紀の謎として
富士山の記述がないこと
があげられますが

天照大神が
男神であったこと関わるので
富士山のことを書けなかった

というのが
ホツマツタヱ的な見方です。

幼名を
ウヒルギ

本名(斎名・諱)を
ワカヒト

称名を
アマテル
といいました。

イサナギ・イサナミの
第三子にあたる長男です。

父・イサナギの跡を継いで
富士山のふもとに都をひらくと

12人の妃をいれるという
後宮制をとりました。

セオリツヒメ

12人の妃のなかに
おひとりとても美しい

セオリツヒメ
というかたがいらっしゃいました。

天照大神はこのかたに
一目惚れをすると

内宮(正后)として
迎えいれたといいます。

このときに后のことを
アマサカルヒニムカツヒメ
と称えたそうです。

これがいまでは
天照大神の荒御魂のご神名
向津媛(むかつひめ)
として残っておりますが

もともとは
后を称える名だった
ということです。

のちに
伊勢のイサワ宮に遷都すると

この后とのあいだに
世継ぎの御子を設けました。

しかしながら
ほかの妃とのあいだにも
すでに子があったことから

嫉妬や後継者争いが
巻き起こり

やがては
反乱軍「ハタレ」が
蜂起することとなります。

岩戸隠れ

こうしたなかで
弟ソサノヲとのすれ違いにより

天照大神の岩戸隠れも
起こってゆきます。

岩戸より
ふたたび世にあらわれて

ひとびとに道をしろしめし
あまねく世を照らしたことから

アマテラスヲヲンカミ
と称えられたそうです。

ただ、このくだりには
ほかにも考察できそうですので

それは講座の最後に
まとめさせていただきました。

ハタレの動乱

つづけて天照大神は
国を二分するほどの勢力となった
反乱軍ハタレを鎮圧してゆきます。

これもまた
天照大神のおおきな
事績のひとつといえます。

ホツマツタヱならではの記述で
活劇的なシーンもあり

ホツマツタヱ前半の
ハイライトともいえます。

たくさんの考察ができるので
ぼくも大好きな部分です。

講話

ハタレ鎮圧ののちは
治世は息子のオシホミミに譲り

天照大神は
伊勢のイサワ宮に
隠居されてたようです。

天照大神はそこで
たくさんの講話を行われて

臣や民の育成に
励んでおられたようです。


こうしてさまざまな教えを
文書としても残されました。

なかでも
「鏡」というのは
天照大神の教えであり


みずからを「鑑みる」ことで
心清らかでいることを説いています。

父祖伝来の教えが
「玉」でありこれは
文書や法律などもあらわします。

教えに背くものを罰することが
「剣」でありこれは

刑罰や警察権によって
ひとびとの安全な暮らしを守る
ということをあらわすようです。

三種の神器というのは
こうした教えが込められたもの

だということがわかります。

男女の道

天照大神は
とても長生きであり

玄孫にあたる
ウガヤフキアワセズの代まで
存命だったといいます。

晩年はおなじく伊勢の
サコクシロのウチ宮に遷って
そこで神上がられたといいます。

これがいわゆる
伊勢内宮の地であるようです。

宇治(うぢ)
という地名や

内(うち)宮
という呼び名も

サコクシロのウチ宮
からきているようです。

天照大神の身体は
京丹後のマナヰの地に
眠っているといいます。

これが
・真名井神社
・比沼麻奈為神社
・元伊勢内宮

などといわれています。

また后の
瀬織津姫の身体は
兵庫のヒロタの地に
眠っているといいます。

これが
・廣田神社
・六甲比命大善神社

といわれます。

天照大神は真名井で
男性の守護者となり

瀬織津姫は廣田で
女性の守護者となり

こうしてともに
男女の道
妹背(ゐもをせ)の道
伊勢(ゐせ)の道
を守ったといいます。

神宮祭祀

神上がられたあとも
天照大神は子孫たちの前に
たびたびあらわれています。

初代・神武天皇の東征のさいも
夢の告げによって手助けしています。

そしてこれが
三種の神器とともに

人皇の世にも教えが継がれてゆく
きっかけとなったようです。

ところが
10代天皇はみずからが
禁忌によって生まれたことを
かしこみ畏れて

三種の神器のうち
剣と鏡を皇居の外で
祀るようになりました。

鏡の祭祀はそれから
ほうぼうを転々しながら
祀られるのですが

11代天皇の世には
皇女・ヤマトヒメ(倭姫命)
によって

伊勢の
サコクシロのウチ宮の地が
再発見されることとなり

天照大神が
晩年を過ごした聖地で
鏡が祀られるようになりました。

これが現在の伊勢の
神宮祭祀のはじまりです。

考察

ではなぜ
天照大神の御霊が
八咫鏡に宿っていたのか
ということを考えるに

それは岩戸隠れまで
さかのぼるのではないか?
ということをお話しました。

「隠れる」とは
このときすでに神上がっていた
ということであり

岩戸開きによって
鏡に宿っていたのでは?
というようなお話でした。

これはすでに
YouTube動画の天岩戸でも
お話している内容です。

こうした事績のかずかずを
ホツマツタヱの原文や
ホツマツタヱにのこる歌から
ひもといてゆきました。

みなで声に出して
ホツマツタヱを読んでいくと

五七のリズムが
とても心地よくて

それだけでとても
幸せな気持ちになるのでした。

また今回は
AI画像を多用しており

それぞれの神さまの
イメージをつかみやすくして

物語がより
身近に感じられるよう
がんばってみました!

くじ引き

講座のあとは
あーく煌々さん恒例の
くじ引きです!

あーく煌々さんで
販売されている商品が
景品となっておりますので

いつもみなさま
大盛り上がりとなっています。

質疑応答

講座を聞いて
気になった部分を
ご質問いただきました!

膨大な情報を
いっきに話したので

理解が追いつかない部分も
たくさんあったかと思いますが

いつもお世話になっている
重藤先生や牧野宮司より

熱い熱い質問をいただきまして
ぼくもたじたじになりながら
答えさせていただきました!

今回もたくさんの方がたと
楽しい時間を過ごすことができました!

ご参加いただいたみなさま
応援いただいたみなさま
あーく煌々のみなさま

本当にありがとうございます!

懇親会

講座のあとには
みなさんでお弁当を囲む
懇親会もありました。

参加者のかたがたに
おひとりおひとりに
お声やお話をいただき
親交を深めてゆきます。

また今回は
あーく煌々さんの店舗で
ふだん行っている
オーラ診断をしていただきました。

特殊な機械に手を置くと
そこからオーラを読み取って
映像化するというもので

以前にぼくも
体験させていただいたのですが

再チャレンジしたところ
あいかわらずの真っ赤なオーラが
画面に映しだされました!

これは本当に
すごくすごく楽しいので

ぜひみなさまも
あーく煌々さんで
ご堪能いただけたらと思います。

403 Forbidden

次回

次回の特別セミナーは
2026年4月12日(日)
です。

天照大神の
弟・ソサノヲとその一族
について
お話をさせていただきます!

どうぞよろしくお願いいたします!

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