日本ホツマツタヱ協会
ホツマツタヱの聖地である
滋賀県高島市において
長らく活動をつづけてこられた
高島市ホツマ研究会がこのたび
一般社団法人
日本ホツマツタヱ協会
を発足されました。

平成4年5月2日に
高島市安曇川町西万木にある
日吉神社の神輿蔵より
和仁估安聡(わにこやすとし)
による日本最古の写本である
漢訳本「ホツマツタヱ」全巻が
発見されており
現在は
中江藤樹・たかしまミュージアム
(2025年6月1日リニューアル)
で保存管理されているのですが
こうした貴重な史料の
永続的な保全保護と
ホツマツタヱのさらなる
普及活動のために
一般社団法人化されて
協会を発足されたようです。

おめでとうございます!!
慎んでお慶び申し上げます。
発足記念式典
一般社団法人
日本ホツマツタヱ協会の
発足記念式典が
令和7年5月18日(日)
高島市にある
WEST LAKE HOTEL 可以登楼
にておこなわれました。

挨拶
まずは
高島市ホツマツタヱ研究会の
会長でもあり
フトマニやミカサフミなど
ヲシテ文献史料を保管されている
野々村直大 代表理事
の挨拶にはじまりました。
高島において
長年ご研究をつづけてこられた
野々村会長の熱いお気持ちは
ホツマツタヱの素晴らしさを
どこまでも だれよりも
純粋に楽しまれているところより
やってきているようで
愛好家としての鑑であるように
ぼくは感じております。
つづいて
ホツマツタヱ写本を残された
和仁估安聡の子孫にあたる
井保國治 理事
による経緯説明がありました。
和仁估安聡の全編写本を
後世にも残していくためには
一般社団法人化をおこない
行政とも連携できるような
団体としてゆくことが
重要であるようです。
井保さんは
とても温厚で柔和なかたですが
熱い想いはいつも
胸の奥にたぎらせているかたで
男性的な魅力があります。
和仁估安聡の子孫ということは
オオタタネコやクシヒコや
ソサノヲの子孫でもあるということですね。

さらにつづけて
今年2月にご就任された
今城克啓 高島市長が
ご登壇されました。
高島市に惚れこんで
平成8年に移住されたらしく
ながらく市議会議員を
勤めてこられたようです。
ホツマツタヱもまた
高島市の貴重な資源として
認知しておられるようで
熱のこもった市長の挨拶をうけて
ぼくをふくめ聴講に訪れた
全国のホツマ愛好家のかたがたも
とても嬉しくなっておりました。

記念講演
第1部では
関係者各位による
記念講演がおこなわれました。
まずは
『検証ほつまつたゑの』編集長
原田峰虎 氏の講演です。
高島市がなぜ
ホツマツタヱの聖地といわれるのか
琵琶湖とホツマツタヱの関係
船の一族とホツマツタヱの関係
高島とホツマツタヱの関係
などをお話しておられました。
また地誌的評価も高い
『安曇川郡誌』には
ホツマツタヱ写本を残された
和仁估安聡について
批判的な意見が描かれているために
高島市としても
ホツマツタヱを取り上げづらい
という側面があるといいます。
しかしながらのちに
松本善之助先生による
ホツマツタヱ再発見がなされ
吾郷清彦氏による
翻訳本も刊行されたことから
昭和59年刊行の
『安曇川町誌』では
和仁估安聡を
再評価する記述があるようです。
これは高島において
和仁估安聡による
全編写本が発見される前のこと
ですから
これからさき
『高島市史』を編纂するさいに
高島市において
全編写本が発見されたという
和仁估安聡の
評価を高める記述を残したなら
今後のホツマツタヱの発展にも
重要な意味が生まれるかもしれない
というご講演でした。

つづいては
一般社団法人
日本文化保存研究所
安田洋二 代表理事
によるご講演です。
皇室の装束についてのお話で
2025年日本国際博覧会において
日本の着物文化を
発信するイベントなかで
天皇陛下が即位礼や
宮中祭祀のときまとわれる
黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)
を模した衣装を着用して
問題となったことを
例にあげておりました。
また装束から
古代よりつづく氏族で
用いられる紋や
それぞれの職務をとりあげて
お話をされておられました。

さいごは
中国北京 精華大学招聘教授
工学博士
紺野大介 先生
によるご講演でした。
ホツマツタヱ再発見の祖である
松本善之助先生とご親交があり
みずからも
ホツマツタヱの普及へむけて
活動を行ってこられたといいます。
たとえば
自動車やデジタルカメラなどを
制御するための組み込み用OSとして
6割以上の市場を締めるという
国産OSに「トロン」があるのですが
そのトロンを生みだした
坂村健博士による
トロンプロジェクトにおいて
トロンコードという
文字コードが蒐集されたさい
紺野先生は
「TRONWERE VOL.68」(2001)に
「日本固有古代文字”ホツマツタエ”考察
-「超漢字」の充実によせて-」
という論文を寄稿して
ヲシテを推挙されたらしく
トロンコードのひとつに
「ホツマ文字」が
割り当てられたといいます。
記念式典には
全国より80名ほどの
ホツマツタヱ愛読者のかたがたが
お集まりになられまして
基調講演を楽しまれておりました。
パネルディスカッション
第2部では
パネルディスカッションが行わました。
登壇者は
『検証ほつまつたゑ』編集長
原田峰虎 氏
本山修験宗総本山 聖護院門跡大先達
日本ホツマツタヱ協会理事
梅川尚希 氏
そして
『ゼロから始めるホツマツタヱ』の著者で
ホツマツタヱYouTuberでもある
わたくしNAVI彦です。

おおくの諸先輩がた
諸先生がたにかこまれて
震えあがっておりました。
およそ1か月ほどまえに
「5月18日空いてる?」
という連絡をいただきまして
空いてますよ
空けておいて?
わかりました~
と内容もあまり聞かずに
安請け合いしたのが
はじまりだったように思います。
協会発足や記念式典なども
比較的短期間のうちに
決まったことらしく
個人で気ままに活動している
ぼくには声を掛けやすかった
ということもあるのでしょう。

協会員でもなく
若輩の新参者がこうして
登壇するというのは
針のむしろのような
心地がするものですが
引き受けてしまったからには
厚顔無恥を前面におしだして
やり通すしかございません。

原田編集長の
見事な進行に推され
気さくでパワフルな
梅川さんに元気をいただき
ぼくもぼくなりの
高島の魅力を語らせていただきました。

景観の美しい高島の地は
すぐにも歌を詠みたくなるような
素晴らしい場所です。
ホツマツタヱによれば
古代の船の一族よりつづく
歴史深い場所であるほか
道案内の神ともいわれる
猿田彦神(サルタヒコ)の故郷
であり
天孫ニニキネと
猿田彦が出会った地
でもあります。



わたくしNAVI彦もまた
ホツマツタヱの世界の
道案内(NAVI)をする男(彦)
ということで
猿田彦神から
名をいただいていますので
大変に縁のある場所と感じています。
この地に来られることが
本当に幸せですということを
お伝えさせていただきました。

基調講演でずっと
背筋を伸ばして聞かれていた
参加者のかたがたも
ここではすこし
気を抜くことができたようで
ちらほらと笑顔もこぼれていたことが
ぼくとしてはなにより嬉しいことでした。
ご参加いただいたみなさま
誠にありがとうございます!
懇親会
休憩をはさんでから
隣の部屋に会場を移して
懇親会がおこなわれました。
参加者のかたがたも
登壇者のかたがたも
言葉を交わすことができて
みなさま親交を
深められていたようです。
またビデオレターによる
メッセージも寄せられていました。
YouTuberの
たっしー&たー坊さん
によるビデオは
編集も凝っていて
とても面白かったです。

また
ピアニスト・シンガーソングライターの
海賀千代さんからは
アワウタが届いておりました。

みなさま歌とお酒と
愉しい会話に酔いしれておりました。
また、来年には
松本善之助先生による
ホツマツタヱ再発見60周年
を迎えるといいます。
本会においては、来年その
記念イベントをおこないたい
というお話もありました。
来年もまた
豊かで楽しいイベントが
ひらかれてゆくようです。
(おわり)
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