引っ越し作業中

日吉のお花見

白山社の集合写真イベント

高島・日吉ツアー

3月30日、31日と
琵琶湖の高島・日吉ツアー
に参加していました!

2日目は
日吉大社周辺をめぐります。

奥宮の集合写真

志我の里

目覚めたのは
高島市今津の山辺にある
志我の里(しがのさと)という
一棟貸しのお宿です。

志我の里

株式会社 薪未歩(まきらいふ)
という薪ストーブ屋さんが営むお宿で
薪ストーブを体験できました。

志我の里のストーブ

室内のストーブも
大変すばらしかったのですが

外にはさらに
ウッドハウスが建っており
こちらも見事なものでした。

志我の里のウッドハウス
志我の里のウッドハウス
志我の里のウッドハウス

すっかり魅了されました。

こちらはぜひぜひ
リピートしたい場所です!

spaceまある

参加者のみなさまは
spaceまあるさんに
宿泊されていました。

SPACEまあるのブログ
maraccaさんのブログです。最近の記事は「6、7、8月の宿泊キャンペーンのお知らせ(画像あり)」です。

昨日の
ひなまつりや懇親会でも

spaceまあるのかたがたが
お食事を用意してくださっていました。

ぼくもこちらに合流しまして
朝食を一緒にいただきます。

これがまた美味しいこと。

朝からたっぷりと
おかわりしました。

高島の田園風景

水尾神社

朝食の時間まで
すこし時間もあったので

さくっと朝の参拝を
してきました。

水尾神社の瀧

ホツマツタヱの
聖地のひとつでもある
水尾神社さんです。

たびたび訪ねていますが
それでもこの

石積みの庭園にはいつも
心奪われてしまいます。

こんなところが近所にあれば
毎日のように遊びに行ってしまいます。

水尾神社の境内

日吉大社

全国の
日吉・日枝・山王社の
総本社である

日吉大社(ひよしたいしゃ)
さんを参拝します。

日吉大社では
須原禰宜のご夫妻に
ご案内いただきました。

日吉大社の祭礼である
山王祭(さんのうさい)
の準備に忙しいなか

休暇を取ってまで
ご案内いただけたのは

須原禰宜さまの
人徳もさることながら

主催の河内さんの
人柄もあるなあと
感服です。

日吉大社の山王鳥居

本日のイベント名は

牛嶋浩美・NAVI彦と行く日吉大社お花見ツアー
~雅楽と語りの調べ~

となっておりました。

「NAVI彦と行く」
とあるものの

須原禰宜さんの境内案内に
ぼくは聞き惚れるばかりで
本当に名ばかりでございました。

日吉大社の榊

境内の白山社では
須原禰宜に正式参拝を
とりおこなっていただき

参加者一同による
「あわうた」奏上まで
おこなわれました。

日吉大社に響く
「あわうた」にこれまた
感無量です。

白山社の集合写真

八王子山

日吉大社の背後には
お椀型をした美しい
八王子山がそびえています。

八王子山には
奥宮として

牛尾社と三宮社があり
その間には

金大巌(こがねのおおいわ)
という磐座が祀られています。

奥宮の磐座

牛尾社と三宮社のなかには
お神輿が納められており

山王祭では
日も落ちたころに

この神輿を山からおろす
といいます。

ふだんは閉ざされている
お社を

須原禰宜さんは鍵を開けて
なかを見せてくださいました😮

奥宮の牛尾社

なんということでしょう‼️

はじめての光景に
胸が躍ります。

奥宮の牛尾社と神輿

牛尾社は本殿のほかに
百大夫社と牛御子社が
祀られていました。

奥宮の牛尾社
奥宮の百大夫社
奥宮の牛御子社

奥宮からの眺望も
牛尾社からみると
すこし違った心地がしました!

奥宮の牛尾社の神輿
奥宮の牛尾社からの眺望

思い切って須原禰宜さんに
いろいろと訪ねてみました。

「金大巌は
ご祭神の大山咋神の墓所
ともいわれるようですが?」
と聞いてみましたら

日吉大社としては
そのような立場ではなく

太古よりここで
ご祭神をお祀りしている
ということのようですね。

また
「山王祭の宵宮で神輿をゆするのは
婚姻関係をあらわすと聞ききましたが?」
というと

これは稲穂が垂れるように
豊穣を祈願するものです
というようなお返事でした。

奥宮の牛尾社の神輿

さらに
「東本宮と西本宮はともに
高穴穂神社のほうを向いていませんか?」
と聞きましたら

天子南面すというように
南側を向いているはずです
というようなお返事でした。

「大津京のほうではないようです」
といいましたら

そちら(高穴穂)のほうが
古いですからねと仰っていました。

あああ、
大好きな日吉大社さんの
禰宜さんとお話できていると思うと

ぼくもついつい興奮して
うまく話せなくなってしまいます。

それはもう
思春期の中学生のような
有り様です。

「日吉大社のことが大好きで
いまでもたびたび訪れています」

と告白しまして
書籍をお渡ししました。

すこしでも
ホツマツタヱに興味を持っていただけたら
本当にありがたいことです。

奥宮の集合写真

さてさて
ホツマツタヱ的な解釈のひとつでは

日吉大社の八王子山は
イサナギ・イサナミが
中柱を立てた聖地
とみることもできるようです。

ぼくとしては
比良山の探究も
してみたいとことです

芙蓉園

日吉大社の
西本宮、奥宮、東本宮
とめぐりまして

境内を出ますと
昼食会場となっている
料亭の

芙蓉園(ふようえん)
へと向かいました。

こちらでは
お花見三重弁当を
いただきました。

芙蓉園の花見弁当

芙蓉園さんは
延暦寺里坊のひとつ
白毫院(びゃくごういん)
の旧跡地にあたり

江戸時代初期につくられた
庭園が残されています。

芙蓉園の庭園

また敷地内には
ピラミッドにもみえる

穴太衆積みの
石垣や洞窟があります。

芙蓉園の穴太衆積み

この地に暮らしていた
石積み集団の

穴太衆(あのうしゅう)
による遺構だそうです。

芙蓉園の穴太衆積み

芙蓉園を利用したかたは
庭園を遊覧できるそうですが

つねづね中に入って
観てみたいと思っていたので
念願が叶いました。

大将軍神社

日本の天台宗の祖・
最澄の生家といわれる
正源寺(しょうげんじ)
の隣には

大将軍(たいしょうぐん)神社
があります。

日吉大社の
境外社のひとつで

日吉大社のある
「坂本」の地の
総社ともいわれます。

最澄の産土神
でもあるようです。

巨大なスダジイの木が
たまらない神社さんです。

大将軍神社のスダジイ

神仏習合の時代には
正源寺とひとつだったのでしょう。

大将軍神といえば
陰陽道の方位神であり

ホツマツタヱでいえば
空の神・ウツロヰにあたります。

が、当社のご祭神は
大山祗神(おおやまずみ)
岩長姫神(いわながひめ)

となっています。

ここで突然
イワナガヒメについて
ホツマツタヱから解説してください
と振られまして

頭をぐるぐると巡らせながら
なんとかお話しました。

イワナガヒメといえば
天孫ニニキネの后となった
コノハナサクヤヒメの姉
にあたるかたです。

ホツマツタヱでは
天照大神の時代に反乱をおこした
モチコ・ハヤコ姉妹のうち
ハヤコの転生した姿とされています。

「美しい」といわれる
コノハナサクヤヒメにたいして

「みにくい」とされたため
后となれなかったようですが

この
「みにくい」というのも
「見えにくい」であった
とすれば

霊力に秀でた存在であり
透けてみえるほどだった
と取ることもできます。

ですから
ぼく個人的にも
大変に崇敬している
女神のおひとりです。

参加者のみなさまは
これを真摯に聞いてくださり
本当にありがたいかぎりです。

須原禰宜さんは
社の蛙股にある彫刻が
雀に見えるのですが
どう思いますか?といっていましたが
なるほどそのように見えました。

雀といえば
ホツマツタヱでは
お酒とつながるのですが

大山咋神と酒といえば
松尾大社になってしまいます、、、

唐崎神社

日吉大社の参道から
琵琶湖畔にある

唐崎(からさき)神社
へと移動しました。

唐崎神社

近江八景のひとつ
唐崎の夜雨(やう)
の地でもあり

日吉大社の
西本宮のご祭神と
縁の深い場所です。

近江八景・唐崎の夜雨

松の巨木で
知られていますが

いまは枯れかけであり
次代の育成がはじまっている
とのことでした。

唐崎神社の霊松

柿本人麻呂はここで

さざ波の 志賀の唐崎 さきくあれど 大宮人の 船まちかねつ

『万葉集』

と詠んだといいます。

32音の歌ですから
祓いの意味を持たせているようです。

唐崎神社の霊松

朗読と雅楽

ここでは
ちぎらみちこさんによる
奉納朗読が行われました。

ちぎらさんは
『陰陽師』(作:夢枕獏)にある
「蝉丸」の話に感銘を受けて

この地で語ることを
願っていたといいます。

今回の旅もすべては
この奉納朗読から
はじまっていたらしく

すべてはこの時に向けて
動いていたようです。

朗読にさきがけて
須原禰宜さんがまず
竜笛を奏でられました。

唐崎神社での朗読と演奏

旅の数日前までは
温かな日がつづき

ちょうど花も咲くころかと
思っていたのですが

寒の戻りによって
ふたたび冷え込んでしまい

仕舞いかけたコートを
引っ張り出してきました。

けれども
竜笛の音がひびくと

麗らかな陽がさして
鳥のさえずりも聞こえてきました。

つづいてちぎらさんが
「蝉丸」の物語を
しっとりと読みあげてゆきます。

大津と山科の境にある
逢坂の関あたりに

庵をむすんでいた
盲目の法師・蝉丸は

夜な夜な琵琶を奏でる
暮らしを送っていたそうです。

平安貴族で雅楽家でもある
源博雅(みなもとのひろまさ)は

琵琶の名手である
蝉丸の演奏を聞くためだけに

京都からすこし離れたこの地まで
こっそり通っていたといいます。

それがある夜に
ふと邂逅を果たしますと

はじめてふたりで
セッションを行いました。

するととても
不思議なことがおこった
というお話です。

なぜひとは奏でるのか
なぜひとは語るのか
なぜひとは歌うのか

そんなことを
ふかくじっくりと考えてしまう
豊かな時間となりました。

語りのあとには
須原夫妻による
龍笛と篳篥の演奏が行われ

いよいよ物語の世界が
現実へとあらわれてきたかのようでした。

なんとも優雅な時空間でした。

唐崎神社での挨拶

最後には
牛嶋さんと並んで

ぼくもご挨拶を
させていただきました!

神代文字

唐崎神社のちかくの
鶴㐂そばさんにて

直会(懇意会)が
行われました。

ここでもまた
須原禰宜さんとお話する機会があり
いろいろと聞いてみました。

「京都の松尾大社でも
大山咋神が祀られていますが

現在でも
日吉大社と親交などはあるのですか?」
と聞きましたら

それはないですね
というお答えで
とても興味をそそられました。

また
「ホツマツタヱの最古の写本は
高島市の日吉神社で見つかっています。

『日吉』神社というのも
絶対に縁のあることだと思います」
とお伝えしましたら

そういえば日吉大社にも
神代文字の判木がありますよ
というお話をうかがいました!

おもわず興奮しまして
ぜひぜひそれを見せてください
とお伝えしましたら

後日メールにて
データをお送りいただきました。

それがこちらです。

神代文字の木版

國學院大學の
千々和到(ちぢわいたる)教授が
読解したところによれば

右側は
「カラ■キオホカミ」
と読めるようですね。

■部分は不明ですが
おそらく「サ」と読んで
「唐崎大神」となるのだろう
とのことでした。

左側は
「ヒ■■ホ■■オ」となり
いかようにも読めそうです。

「ヲシテ」ではなく
「アヒル草文字」に近いようですね。

ヲシテがみつかれば
最高だったのですが

こちらも
神代文字(古代文字)のひとつですので
希望が湧いてきました!

きっとまだまだ
何処かにあるはずです。
探索をつづけてゆきます!

というような
濃厚な二日間となりました😆

ご参加くださいましたみなさま
大変お世話になりました!

ご一緒くださいまして
本当にありがとうございました!

コメント

  1. とらさん より:

    いい旅でしたね♡

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