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四天王寺と聖徳太子

四天王寺の五重塔と金堂大阪

四天王寺

大阪の天王寺にある
荒陵山(あらはかさん)
四天王寺(してんのうじ)
へ行きました。

四天王寺の南大門と山号碑

推古天皇元年(593年)
聖徳太子(しょうとくたいし)
が建てた寺院で

日本仏教はじまりの地
だといいます。

四天王寺の中門と石灯篭

聖徳太子建立七大寺

聖徳太子建立七大寺
(しょうとくたいしこんりゅうしちだいじ)
のひとつといわれ、ほかに

  • 法隆寺(ほうりゅうじ)
  • 広隆寺(こうりゅうじ)
  • 法起寺(ほっきじ)
  • 中宮寺(ちゅうぐうじ)
  • 橘寺(たちばなでら)
  • 葛木寺(かつらぎじ)

があるようです。いずれ、
すべてまわってみたいです。

四天王寺の中門

救世観音

本尊は
救世観音(ぐぜかんのん)
だといいます。

経典には登場しないという
観音菩薩らしく

法隆寺など
聖徳太子ゆかりの寺に祀られる
ことがおおいようですね。

四天王寺の五重塔と金堂

五重塔

本尊が安置されている
金堂(こんどう)とともに

四天王寺の中心となっている
五重塔(ごじゅうのとう)です。

絢爛豪華な建物で
見惚れてしまいます。

四天王寺は、たびたび
火災や戦火にみまわれて
焼失しているらしく

五重塔もすでに
8代目だといいます。

四天王寺の五重塔

こちらの塔には
登ることができました。

四天王寺の五重塔の階段
四天王寺五重塔の仏舎利

頂上には
仏舎利塔(ぶっしゃりとう)
がありました。

仏教寺院では
お釈迦さまの遺骨を
仏舎利といって
祀っているようです。

寺院の配置は
創建の当初から
変わってないといいます。

四天王寺の五重塔とあべのハルカス

現代のランドマーク
『あべのハルカス』と

旧ランドマークともいえる
『五重塔』がならんでいて
とても面白い光景です。

神道との関係

仏教を日本に持ち込んだ
とはいうものの

聖徳太子は
神道にも精通していたらしく

日本の神々への信仰も
厚かったといいます。

そのため
四天王寺の境内には

東側に
伊勢神宮遥拝石
(いせじんぐうようはいせき)

南側に
熊野権現礼拝石
(くまのごんげんらいはいせき)

が祀られているそうです。

伊勢神宮遥拝石
熊野権現礼拝石

四石

ほかに、西門には
引導石(いんどうせき)
が祀られていて

引導石の由緒
四天王寺の引導石

金堂と五重塔にはさまれた
四天王寺の中央には

転法輪石(てんぽうりんせき)
が祀られています。

四天王寺の転法輪石

遥拝石・礼拝石・引導石・転法輪石
をあわせて

四石(しせき)といい
四天王寺の重要な霊石と
されているようです。

東・南・西・中央という
いわくありげな配置が
とても気になります。

和宗

境内には
興味深いものがたくさんあり
飽きることがありません。

四天王寺の役行者像
修験道の祖・役行者(えんのぎょうじゃ)像
四天王寺の空海像
真言宗の祖・空海(くうかい)像

四天王寺は
特定の宗派に偏らない
といいます。

あらゆる日本仏教・
和宗(わしゅう)
の祖として

幅広く学ぶことができる寺院
なのだそうです。

荒陵山

山号を
荒陵山(あらはかさん)
というのは

南西にある
茶臼山(ちゃうすやま)古墳
によるようです。

ここは、古代豪族の
栄えた地でもあったようです。

四天王寺の石棺の蓋

その出土品が
いつのころからか

四天王寺にうつされて
石橋とされていたそうです。

巻物石(まきものいし)
蛙石(かえるいし)

などといわれて
安産のご利益があった
といいます。

四天王寺にある石棺蓋の案内

こうしたものをみると
意識が太古へと
向けられてゆきます。

物部守屋

境内の南東には
聖徳太子を祀るという
聖霊院(しょうりょういん)
があるのですが

その、すぐ東側に
守屋祠(もりやのやしろ)
というちいさな社殿があります。

ここには、聖徳太子の
政敵として討たれた
物部守屋(もののべのもりや)
が祀られているといいます。

大陸よりもたらされた
仏教をひろめようとする
崇仏派(すうぶつは)
蘇我(そが)氏と

日本神道を守ろうとする
廃仏派(はいぶつは)
物部(もののべ)氏の対立は

当時、武力闘争にまで
発展していたようです。

四天王像

神道(廃仏派)の
物部守屋と

仏教(崇仏派)の
蘇我馬子(そがのうまこ)
の合戦のさい

蘇我氏についた
聖徳太子はみずから
四天王像を彫りあげて

『この戦いに勝ったならば
四天王を祀る寺院を建てて
ひとびとを救済する』


と誓願したところ
物部守屋を討ちとって
勝利をおさめたといいます。

そこで、
誓いを果たすために
建立されたのが
四天王寺だそうです。

ですから、
金堂の本尊である
救世観音の四方には

四天王像が安置され
本尊を守護しているといいます。

また、建立のさいは
四天王寺の基盤をささえるため

物部守屋から没収した
土地や領民が使われた

ともいうようです。

四天王寺の礎となったことから
いまでも祀られているのでしょう。

願成就宮

守屋祠はふだんは
参拝できないのですが

聖徳太子の月命日である
毎月22日にのみ
参拝できるようです。

物部守屋の御霊は
四天王寺を守護する
守り神になっていて

いまでは
願成就宮(がんじょうじゅのみや)
ともいわれていて

隠れたパワースポット
なのだそうです。

極楽浄土の庭

お盆ともあって
参拝客・観光客だけでなく
お墓参りのかたもおおく

すこしばかり
人酔いをしてしまいました。

どこか、
ひと気の少ないところはないかなと
探していましたら

極楽浄土の庭(ごくらくじょうどのにわ)
にたどりつきました。

穏やかな空気がただよい
時間の流れまで穏やかに感じます。

四天王寺の極楽の池
四天王寺の本坊庭園の庵
四天王寺の極楽の池の蓮

すっかり気分も良くなりました。

二河白道(にがびゃくどう)
という、中国の教えにもとづいた
庭園だといいます。

とても美しく整備されていました。

鬼門

極楽浄土の庭には
四天王寺の鬼門(北東)守護として

荒陵(あらはか)稲荷大明神
が祀られていました。

四天王寺本坊庭園にある荒陵稲荷大明神の由緒

祠には、お狐さまだけでなく
白蛇の置物もありました。

宇賀神(うがじん)
なのかもしれませんが

庭園ですから
蛇が住みついている
のかもしれませんね。

地主神を祀る社
なのでしょう。

極楽門

中心伽藍の西には
極楽門(ごくらくもん)
という西門があるのですが

ここに、
とても興味深い図像が
描かれていました。

四天王寺西門の武庫山越の阿弥陀如来図
四天王寺の西大門にある武庫山越の阿弥陀如来の解説

武庫山越(むこやまごえ)の
阿弥陀如来(あみだにょらい)

というそうです。

仏教では
西方浄土(さいほうじょうど)
阿弥陀如来がつかさどることから

西門に阿弥陀如来が
描かれていているようです。

また、武庫山というのは
向こうのほうに高くそびえる
六甲山(ろっこうさん)
のことだといいます。

ですから、この姿とは
六甲山と女神さま⑤ ~まとめ~
でくわしくみました

天照大神の后・
瀬織津姫(せおりつひめ)
のことかもしれません。

生命の樹

五重塔の壁には
このような図も描かれていました。

四天王寺の五重塔の壁画

これは、カバラ思想の
生命の樹(せいめいのき)
の図にもよく似ています。

仏教だけでなく
海外のさまざまな思想や宗教も
学べる場所だったのでしょうか?

四天王寺はとても奥が深く
興味の尽きない寺院です。

四天王寺と聖徳太子 ~終~

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