坐摩神社
難波神社より
300メートルほど
北西へゆくと
摂津国一之宮
坐摩(いかすり)神社
があります。
社名の
「いかすり」とは
土地や居住地を守る
「居所知(いかしり)」
からきているらしく
居住守護の神徳
があるといいます。
地元では
「ざま」さん
とも呼ばれるようです。

摂津国一宮
坐摩神社は
住吉(すみよし)大社
とともに
摂津国一宮
とされています。
一宮といえば
その国(地域)でもっとも
社格の高い神社だそうですが
住吉大社のほうが
境内地もはるかに広く
認知度も高いといえるでしょう。
坐摩神社はかつて
住吉大社の末社だった
という説もあるそうです。
しかしながら
坐摩神社のご祭神は
宮中祭祀にも関わる
重要な存在であり
お祀りする神社も
大変に少ないことから
神社好きにとっては
見逃せない社です。
また境内には
大阪府神社庁会館
もあります。

神功皇后
創建は
14代・仲哀天皇の后である
神功皇后(じんぐうこうごう)
によるといいます。
神功皇后は
夫・仲哀天皇をうしなったのち
朝鮮半島へ遠征をおこない
馬韓・弁韓・辰韓の
3韓を征伐したといいます。
その帰路に
坐摩(いかすり)神を祀った
のがはじまりといわれています。
当初は
渡辺津(わたなべのつ)
に祀られていたらしく
旧社地には現在
坐摩神社行宮(あんぐう)
が残っています。
神功皇后が休んだという
鎮座石(ちんざいし)
が祀られているようです。
豊臣秀吉による
大阪城築城のさいに
現在地へと
遷されたといいます。

渡辺
渡辺津は
瀬戸内海最大の港湾
だったといいます。
古代にひらかれていた
難波津(なにはつ)が
中世にも機能しつづけたもの
といわれています。
難波津の旧跡地は
不明とされているようですが
渡辺津はおおよそ
天満橋から天神橋のあたり
と推定されているようです。
天満橋や天神橋がかかる
大川(おおかわ)は
現在では
淀川(よどがわ)の
分流となっていますが
かつては、大川が
淀川の本流であったらしく
旧淀川ともいわれています。
平安時代以降は
京から瀬戸内海へつづく
交通の要衝ともなり
熊野三山へと
参詣するための
熊野古道の基点
にもなっていたようです。
熊野大社までつづく
99の王子(おうじ)社のうち
1番目にあたる
窪津(くぼつ)王子
があったといいます。
もともとこの地は
「窪(くぼ)」
「九品(くぼん)」
と呼ばれていたようですが
渡場として
大江渡(おおえのわたり)
大渡(おおわたり)
といわれていたのが
渡りの辺ということで
渡辺(渡部)
へ転じたといいます。
平安時代のはじめには
摂津国府も置かれたようです。

また、
平安時代の武将である
源綱(みなもとのつな)は
母方の里にあたる
この地に暮らしたことから
渡辺綱(わたなべのつな)
と名のるようになり
渡部氏の祖になった
といいます。
ですから渡辺津は
渡部氏発祥の地
ともいわれるようです。
渡辺綱といえば
源頼光(みなもとのらいこう)
の四天王のひとりとして
大江山の酒呑童子や
茨木童子などの
鬼退治で知られるようです。
ですから
節分のさいには
渡部姓のひとは
豆まきをする必要がない
とまでいわれるそうです。
坐摩神社の宮司も
世襲制となっていて
渡邉氏が代々
奉斎しているといいます。
渡辺津より
遷座してきたので
現在地の地名にも
「渡辺」が残っています。

坐摩五神
坐摩神社のご祭神は
坐摩大神(いかすりのおおかみ)
といわれていますが
これは総称であり
・生井神 (いくゐ)
・福井神 (さくゐ)
・綱長井神 (つながゐ)
・波比祇神 (はひき)
・阿須波神 (あすは)
という5柱の神々のこと
といわれています。
生井神・福井神・綱長井神は
井戸の神といわれ
波比祇神・阿須波神は
屋敷や竈の神とされるようです。
生井神(いくゐ)は
生命力をもたらす
井戸の水を称えたもの
福井神(さくゐ)は
幸福と繁栄をもたらす
井戸を称えたもの
綱長井神(つながゐ)は
釣瓶の綱が長いことから
深くて清らかな井戸を称えたもの
ともいわれています。
また
波比祇神(はひき)は
宅地の境界(庭)のことで
阿須波神(あすは)は
宅地の基礎(足場)のこと
とされているようです。
『古事記』によれば
波比祇神と阿須波神は
大歳神の子だといいます。
さらに
『古語拾遺』には
このようにあります。
坐摩
古語拾遺
是大宮地之靈
今坐摩巫所奉齋也
坐摩(いかすり)。
これは皇居の敷地を
守る神霊です。
いまは
坐摩巫(いかすりのみかんなぎ)
が奉斎しています。
坐摩神の祭祀は
初代・神武(じんむ)天皇が
宮中に祀ったことにはじまり
坐摩巫という役職のかたに
祀られていたようです。
この坐摩巫を出したのが
坐摩神社の宮司職を担ってきた
渡辺氏であるともいうようです。
坐摩5神というのは
宮中8神につづいて祀られる
存在だったといいます。

宮中八神
皇居にあるという
宮中三殿のうち
神殿(しんでん)には
天神地祇と八百万神を
祀っているといいますが
本来は
宮中八神を祀る施設であり
八神殿(はっしんでん)
とよばれていたそうです。
平安京の大内裏では
神祇官西院に祀られており
奈良・飛鳥時代以前の
宮中祭祀の形態を残すもの
ともいわれるようです。
天皇家を
守護する神とされており
『延喜式』では
・神産日神(かみむすび)
・高御産日神(たかみむすび)
・玉積産日神(たまつめむすび)
・生産日神(いくむすび)
・足産日神(たるむすび)
・大宮売神(おおみやのめ)
・御食津神(みけつかみ)
・事代主神(ことしろぬし)
の8柱を祀っている
といいます。
大阪市天王寺区の
生國魂(いくくにたま)神社
ではこのうち
生産日神と足産日神を
祀っているといいます。
オコロ
坐摩神社はまさに
ホツマツタヱ的な神社
といえます。
ホツマツタヱには
「イカスリ」という言葉が
たびたび登場しているのです。

ホツマツタヱの
21アヤ(章)は
天照大神の孫にあたる
ニニキネ(瓊瓊杵尊)が
新居(宮)造りについて
あらたに儀礼を定める話
となっています。
ニニキネは
新居造営の大事業を
忠臣・
クシヒコ(事代主)
に一任しました。
けれども
造営予定地にはすでに
先住民がいたようです。
さきにみやばに
ホツマツタヱ 21アヤ
おころあり もちうごににて
ほのほはく
宮の造営予定地にはさきに
オコロというものがいました。
モチウゴ(もぐら?)に似て
炎を吐いていました。
土竜(もぐら)は別名を
「うごろもち」ともいうらしく
「オコロ」も「モチウゴ」も
土竜のことであるといわれます。
けれども
「炎吐く」というところから
鉱山を掘ったり
金属を精錬をする
製鉄民(せいてつみん)
のことかもしれません。
クシヒコが話しを聞くと
オコロたちはこういいます。
かぐつちたつお
ホツマツタヱ 21アヤ
はにやすに よろこうませど
たつならず あなにうれふる
ねがはくは ひとなしたまえ
「
カグツチ(火の神)が
ハニヤス(土の神)に
たくさんの
タツ(龍?)を産ませましたが
わたしたちは
龍になることができず
穴に憂いています。(土竜?)
願わくば
ひと(臣民)として
扱ってください
」
そこで
クシヒコが話を
とりなしたところ
天孫ニニキネは
こう答えました。
ゑとのいくしま
ホツマツタヱ 21アヤ
たるしまと かみなたまえば
もりもなし
「
あなたたち兄弟に
『イクシマ・タルシマ』の
名をさずけますから
新しい宮ができたのちは
八将神(ヤマサカミ)に仕えて
お祀りしなさい
」
こうした命をうけたので
イクシマ・タルシマ兄弟を
頭とするオコロたちは
四季折々に宮地をめぐって
土地の浄化を担ったようです。
いしづゑに しきますとこお
ホツマツタヱ 21アヤ
いかすれと おごろのかみと
なおたまふ よよいかすりて
あらやもるかな
さらには礎として
柱の下にある敷石の
床土まで
「イカスリ」によって
清浄に保ったことから
オゴロの神(土公神)
という名を賜りました。
こうして代々
「イカスリ」をおこない
新居を守ることとなりました。
ですから
「イカスリ」とは
土地を清浄に保つ行為
であるようです。
これによって
白蟻などの被害から
社を守っていたのかもしれません。

地鎮祭
宮中八神の
生産日神(イクむすび)
足産日神(タルむすび)
というのは
ホツマツタヱにある
イクシマ・タルシマ
の兄弟のことであり
イカスリ(土地を浄化)
をおこなう
オコロの神(土公神)
であったといえそうです。
さらに
『ホツマツタヱ』と同じく
ヲシテ文献である
『ミカサフミ』には
このようにあります。
このやつくりの
ミカサフミ ハニマツリノアヤ
ほつまのり ゐくゐつながゐ
はひきして あすはふくゐの
はしらたて
とありまして
坐摩5神にあたる言葉が
登場しています。
宮造りのさいには
杭を打ちこみ(ゐくゐ)
綱で囲んで(つながゐ)
地曳してさらい(はひき)
あらたな地として(あすは)
繁栄祈願をする(ふくゐ)
ことにしていたようです。
つまりこれは
地鎮祭(じちんさい)
にあたるようですね。
オコロ(土公神)は
ヤマサカミ(八将神)祀って
土地の穢れを祓い
イカスリ(坐摩)によって
土地を清浄化して
地鎮祭によって
繁栄祈願をおこなっていた
ということになります。

スミヨシ
『ミカサフミ』はさらに
このように続いています。
これすみよしの
ミカサフミ ハニマツリノアヤ
ゐかすりお をこぬのかみの
とくのりと まつりのふみに
もうしてもうす
居住地を改善するための
イカスリの法は
クシヒコ(事代主)が
生みだした
素晴らしい儀式(法)です
これを祭祀の文書として
申し(残し)奉ります
ここに
「スミヨシ(住吉)」が
詠まれています。
「住み良し」に
掛かる言葉であり
居住に関する言葉ですから
「イカスリ」とともに
語られているようです。
住吉(すみよし)大社と
坐摩(いかすり)神社が
ともに
摂津国一宮であることは
これによるのかもしれません。


火防陶器神社
宮中八神というのは
ホツマツタヱでは
ヤマサカミ(八将神)
にあたります。
・ウツロヰ(空)
・シナトベ(風)
・カグツチ(火)
・ミツハメ(水)
・ハニヤス(土)
・ゾロヲヲトシ(大歳)
・スベヤマズミ(山祇)
・タツタヒメ(龍田姫)
こうした
自然神を祀ることで
厄災を防いでいました。
オコロとはこのうち
カグツチ(火)と
ハニヤス(土)から
生まれたとされています。
坐摩神社の境内には
陶器にゆかりのある
火防陶器(ひぶせとうき)神社
も祀られています。
祭神は
大陶祇神(おおすえつみ)
迦具突智神(かぐつち)
だそうです。

靭南にあったものが
遷座したといいます。
全国的にも珍しい
陶器の神社として
崇敬を集めているようです。

陶器といえば
土を火で焼いて作られます。
ご祭神もまさに
土の神と火の神といえそうです。
これも
ヲコロの親である
カグツチとハニヤス
のことでしょうか。

そうすると
火防陶器神社のとなりにある
稲荷神社というのは
オキツヒコ由来の
竈神かもしれません。


境内社
境内にはほかにも
さまざまな社が祀られていましたので
ざっくりとご紹介します。


相殿(あいどの)神社には
たくさんの神々が
合わせ祀られているようです。
春日神・住吉神・大神受美・猿田彦命・
大宮比賣命・多賀社・天御中主神・産霊神・
直比神・諏訪神・事平社・大歳神
が祀られているといいます。

天満宮(てんまんぐう)には
菅原道真公を祀るようです。

大國主(おおくにぬし)神社は
大國主神・事代主神・少彦名神
を祀るようです。

繊維(せんい)神社では
天羽槌雄神(あめのはづちお)
天棚機姫神(あめたなはたひめ)
を祀るようですね。
機織りに所縁のある神であり
繊維問屋の守護神となっているようです。

こちらは
大江(おおえ)神社です。
ご祭神は
神功皇后・應神天皇・武内宿禰
だといいます。
大江山や大江渡に
所縁があるのでしょうか?
境内にはほかに
神官の禊ぎの場として
禊所(みそぎしょ) があるようです。
また境外社として
渡辺津には
坐摩神社行宮 があり
豐磐間戸神(とよいわまど)
奇磐間戸神(くしいわまど)
を祀っているといいます。
門番というような神々です。
ほかには
大隅宮 (大阪市中央区石町)
浪速神社 (大阪市浪速区)
があるそうです。
そちらもいずれ
訪ねてみたいところです!
狛犬
製鉄民のことらしき
オコロ(土竜)や
その頭であった
イクシマ・タルシマ
という兄弟は
いったい何なのか
どうして書き残されたのか
というのを考えてみると
これはいまでいう
狛犬(こまいぬ)
のはじまりだった
のではないでしょうか?
土地の浄化をして
厄災を祓い清めつつ
居住地を守護する
動物的なもので
兄弟(一対)で
存在するもの
といえば
狛犬としか思えません。
狛犬の爪をみれば
鋭く伸びていますから
土をかくのにも
適していそうです。
そのためでしょうか
境内にはなぜか
ライオン(獅子)の
石碑もありました。

所在地
〒541-0056
大阪府大阪市中央区久太郎町4丁目 渡辺3号
難波めぐり3
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