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検証誌138号 わからぬことお1

検証ほつまつたゑ138号表紙検証ほつまつたゑ

検証ほつまつたゑ

ホツマツタヱ研究の専門同人誌・
『検証ほつまつたゑ よみがえる縄文叙事詩』

第138号(令和7年4月号)に
掲載していただきました!

本当にいつも
ありがとうございます🥰

今回からは
ホツマツタヱに登場する
「歌」を解説するという
新連載をはじめました。

初回ということで
10ページも紙面を
割いていただきました!

検証ほつまつたゑ138号わからぬことお その1

「わか」らぬことお 1

ホツマツタヱの魅力は
「失われた歴史書」
ということだけに留まりません。

冒頭の1アヤから
和歌の誕生秘話が語られているように

『歌』についての解説書
「歌の指南書」
という側面もあります。

イサナギ・イサナミの両神が
アワウタによってこの国を治めてより

歌と歴史は
切り離すことができないものとなりました。

そのときより歌は
この国の精神文化となり

いまでも
わたしたちの血のなかに流れています。

歴史書としてのホツマツタヱの影響を
古事記・日本書紀に見ることができるように

歌の書としてのホツマツタヱは
万葉集や古今和歌集など
現存する歌集のなかに見ることができます。

ホツマツタヱを知っていなければ
詠めないはずの歌や

ホツマツタヱを知ってから読むと
別の意味や見えてくる歌など

歌の世界もじつに奥が深いものとなっています。

小倉百人一首の「小倉」というのも
京都の小倉山に由来するといわれるのですが

これもワカヒメより歌を伝授された
「オクラヒメ」によるとすれば

ひとびとに受け継がれている歌心に
胸が熱くなります。

そこで今号より
歌からみるホツマツタヱ
という連載をはじめたいと思います。

ホツマツタヱに登場する
歌に焦点を当てて

じっくりと読み味わってゆきたい
なと考えています。

とはいうものの
ホツマツタヱの歌はどれも難解です。

本当にわからないことだらけです。

ただ、わからないからこそ
わかりたいとも思いますし

わかったときの喜びを
わかち合うこともできるのではと思っています。

そんなぼくの
わからぬ「わか」を語ってみます。

検証ほつまつたゑ誌にはすでに
諸先輩がたによる歌の論考が
いくつも掲載されております。

ホツマツタヱの歌をひもとく活路は
すでに拓かれているともいえます。

気になるかたは是非
バックナンバーを閲覧できる
宝蔵文庫をご利用くださいませ。

音と掛詞

歌には
掛詞(かけことば)
があります。

「松(まつ)」という言葉には
「待(まつ)」の意味が掛けられるように

同じ発音でも異なる意味をもつ
同音異義語(どうおんいぎご)
を利用した修辞法を
「掛詞」というようです。

和歌という限られた文字数のなかで
いくつもの意味を豊かに表現するための
工夫のひとつと
一般的には考えられています。

ホツマツタヱからみるならば
これは本来
同音同義語(どうおんどうぎご)
だったといいたいところです。

「まつ」という音の響きが先にあり
その音のなかには
「松・待つ・末・全つ・先つ・・・」など
全ての意味がもともと含まれていたのです。

ですから
「まつ」という言葉の音韻を聞くだけで
またたく間にそれらのイメージが
重層的に想起されていました。

言葉とは現在のように
限定的な意味を持ったものではなく
音の響きから感覚的に受け取るようなもの

だったのでしょう。

おそろしく豊かな言語感覚
音韻感覚だったことが偲ばれます。

なぜこのような感覚が
生まれたのかというとやはり

日本語がもともと
1音1音からはじまっている

からなのでしょう。

18アヤでは
原初のアメミヲヤが
「ア」や「カ」などの手(印)を結んで
天地創造を行っています。

「ヲシテ」誕生の瞬間です。

ただこれが
文字だったのか音だったのかは
ぼくにはわかりません。

17アヤでは
初代天神クニトコタチが
「ム」や「ヤ」のタミメ(手印?)よって
ひとびとの暮らしを劇的に変えたとあります。

さらにクニトコタチから生まれた
8人の御子は
「ヱ」「ヒ」「タ」「メ」「ト」「ホ」「カ」「ミ」といい
これもまた1文字(音)ずつの名です。

アメミヲヤから3代天神までの
創成の世が描かれているのが
「フトマニ図(モトアケ)」です。

ヲシテの48音が
円盤状に並べられている図であり

ひとつひとつの文字(音)には
原初の神が宿るといわれています。

国政に迷ったときは
占いによって卦を読みとり
原初の神々に判断を委ねていたようです。

卦は
「ア・ヤマ」「シ・ナワ」など
3文字であらわされます。

言語感覚が豊かであった時代には
この3文字ですべてを悟っていました。

けれども
時代が下ってゆくと言語感覚が薄れてしまい
卦の読み違いが起きたといいます。

そこで
天照大神は各卦に合わせた歌集
「フトマニ」を編纂することで

のちの世でも
意味がわかるようにしたそうです。

これらの事跡を眺めてみれば
創成の時代の言語は
1文字(音)ずつで構成されていた

だろうことがみえてきます。

東西南北をあらわす
キツサネという言葉も
この時代の名残でしょう。

「ひがし」と3音を発しなくても
「キ」と1音を発するだけで
意味が通じていたのです。

やがてひとも増えてゆき
暮らしも豊かになってゆくと
より限定的な意味が必要となってきます。

それに合わせて
1音語だったものが

組み合わせによる
2音語へと発展したのでしょう。

2音語の最初は
「ル」と組み合わせた動詞だった
とみることもできます。

「ル」が特殊な形をしているのも
このためかもしれません。

そこから
3音語や4音語が生まれて
言葉の意味はどんどん限定化されてゆきました。

さきほどの
「まつ」を例にとるならば

漢字に変換して
「松」「待つ」「末」と書くようなものです。

意味が限定化されて
わかりやすくはなります。

けれどもそうすることで
「まつ」という音が本来的に持っている
複数の豊かな意味が薄れてしまうのです。

ここには
「ま」という音韻の意味と
「つ」という音韻の意味も含まれています。

ホツマツタヱではこれを逆さまに読んで
「つま(妻)」の意味も含まれてきます。

こうした
文字(音)そのものがもつ
豊かな味わいを取り戻していくというのが

「掛詞」です。

おなじ音をもつ言葉を
いくつも掛け合わせていくことで

音そのものが本来的に持っていたはずの
意味を取り戻していくのです。

いわばこれは
言語的な先祖返りや
「若返り」の手法ともいえるでしょう。

天照大神による
「フトマニ」歌集編纂の苦悩も
これに近いものがあります。

古代の言語感覚であれば
3文字(音)の卦で
すべてがわかっていたのですが

文字(音)の豊かさが
失われてしまったため
31文字(音)も使うことになったのです。

しかしながら
ここに「掛詞」という
言語的な「若返り」を組み込むことで
言語感覚の衰退を防いだのかもしれません。

フトマニ図とアワウタ

天神6代オモタル・カシコネから
天神7代イサナギ・イサナミへと
継がれるさい

本家断絶のために
世の中はおおいに乱れたといいます。

君主不在という国難をのり越えられたのは
当時左大臣的な立場にあった
豊受大神が政治を代行したからです。

みむすびの ゐみなたまきね
もとあけお うつすたかまに

ホツマツタヱ 4アヤ

とあるように
5代タカミムスビの豊受大神は

フトマニ図(モトアケ)
を高天原(朝廷)に写した(描いた)
といいます。

フトマニ図

これにより
原初の神々の意向を
占いによって知ることができたので
世を繋ぐことができたようです。

こうしたことから
フトマニ図を作ったのは豊受大神
といわれます。

おそらくこれは
フトマニ図によって
この国の文字や音を定めた

ということでしょう。

乱れた世がつづいたことで
各地ではそれぞれ異なる文字や言語が使われたり
同じ文字でも発音が違うなどの
差異が生じていたはずです。

これを統一するために
視覚的にもよくわかる図像として
フトマニ図を描き明確に示したのでしょう。

さらに
この文字はこの発音で読むというような
文字と音までも一致させたのでしょう。

イサナギ・イサナミは
ヲシテの48音を五七調で歌いあげた
アワウタを作りだすと

全国を巡って教えひろめた
といいますが

アワウタもまた
フトマニ図をもとに作られた
と考えられます。

アワウタの歌詞

カダガキ(三弦琴)を打ち鳴らしながら
アワウタを歌うことで

ひとびとの耳に

「音」として文字を届けたのです。

これはつまり
全国に公用語(共通言語)を布いた
ということでしょう。

言語によって
国家という共同体意識を築きあげ

「ヲシテ」をもとにした
言語を国民性にまで高めたといえます。

こうしてみると
「ウタ」は音声言語
「ヲシテ」は文字言語というような
使い分けがあったのかもしれません。

だとすればヲシテの原文も
歌の部分は声に出して読むべきもの
かもしれません。

古事記・日本書紀においても
歌には万葉仮名が使われおり
発音そのものが記してあるのもこれによるのでしょうか。

ウタとは

では、そもそも
「ウタ」と何なのでしょう?

イサナギ・イサナミは
民の乱れた言葉を直すために
アワウタを考えました。

これなおさんと かんがゑて
ゐねななみちの あわうたお

ホツマツタヱ 5アヤ

とあるように
イサナギ・イサナミは
アワウタだけでなく

ヰネナナミチ(五七調)
も整えています。

それならば
五七調が「ウタ」なのかといえば

7アヤには
変調子で詠まれている
「ミチスケノウタ」があり
一概にそうともいえません。

そこでふたたび
フトマニ図をみてみますと

中心円には
「アウワ」があります。

「ウ」は原初のエネルギーであり
「ア」は天や陽
「ワ」は地や陰をあらわすといいます。

アワウタの
「アワ」もこれと同じく
「天地」の意味があります。

だとすると
アワウタの「ウ」にも
中心円の「ウ」の意味が
掛かっているのでしょう。

では「タ」は? 
とみてみますと
「ウ」のすぐ左にあります。

方位でいうと
「タ(左)」は「東」です。

おそらくこれは
東国のヒタカミを治める
「タ」カミムスビ家をあらわしているのでしょう。

つまりアワウタというのは
天地を統合して

原初のエネルギーを
タカミムスビ家が引き出すための秘術だった

という見方ができるのです。

ホツマツタヱによれば
本家である「ト」尊の血が途絶えたさい

分家のイサナギ・イサナミに
世を継がせたといいます。

ぼくとしては
イサナギもイサナミも
「タ」尊の血をひくとみています。

「ト」尊を君主として仰いできた
民の心を繋ぎとめるため

「タ」尊の末裔である
5代タカミムスビの豊受大神は

「ト」や「タ」の親にあたる
「クニトコタチ」にさかのぼることで

『わたしたちも
クニトコタチの子孫なのだから
君主たる資格がある』

と示す必要があったのでしょう。

その証左として
フトマニ図(モトアケ)を描き
血統をあらわしたともいえます。

フトマニ図の中心円は
「ウ」は原初のアメミヲヤ
「ア」は原初の人ミナカヌシ
「ワ」は初代天神クニトコタチ
をあらわしているともいいます。

アワウタとは
ヲシテ(文字や音)を生みだしてきた
祖神の力を引き出すための秘術だったのでしょう。

「うたう」という言葉には
「称える」の意味もありますから
ひとびとが歌を詠うほどに
祖神を称えることにもなります。

最初に「ウタ」を編みだしたのは
豊受大神だったとぼくは考えています。

イサナギ・イサナミはここから
五七調を考案して
「アワウタ」を作ったのです。

変調子の「ミチスケノウタ」は
天照大神の妃のひとり
大宮姫ミチコによって歌われたといいます。

ミチコ妃は
6代タカミムスビ・ヤソキネの娘です。

ヤソキネは豊受大神の長男であり
イサナミの兄にあたります。

タカミムスビ家のものですから
「ウタ」の秘術を使えたのでしょう。

ただしイサナギ・イサナミとは
系統が違うから五七調ではない
ともいえそうです。

フトマニ図のアワウタ
アワウタ
フトマニ図のワカ
ワカ

東西の名と穂虫去るアヤ

1アヤは
「それわかは」ではじまり
「これしきしまの わかのみちかな」
でおわる和歌の章です。

冒頭の章でありながら
天地開闢という歴史のはじまりではなく
和歌のはじまりについて語られているのは
とてもホツマツタヱらしいところです。

これも先述のように
歴史と歌が不可分であるという前提に立てば
当然の展開なのかもしれません。

豊受大神の編みだした「ウタ」の秘術と
イサナギ・イサナミによる五七調が
ワカヒメによって「ワカ」として大成しました。

この国の中心軸ともいえる
精神文化が生まれたときのことを
伝えているのです。

さらにいえば
天照大神も斎名は
「ワカヒト」です。

みずからも歌を詠むだけでなく
「フトマニ」歌集を編纂するほど
「ワカ」に通じていました。

ワカヒトは
世をあまねく照らしたことから
天照大神(あまてらすををんかみ)
と称えられました。

ワカヒメは
ひとびとの暮らしに寄りそい
ひとりひとりの心の内を照らしたことで
下照姫(したてるひめ)
と称えられました。

ワカヒトとワカヒメという
ふたりの「ワカ」
によって

新たな皇統
この国を支える精神文化が生まれた
とみるならば

これは
天地開闢よりも重要だった
といえるでしょう。

1アヤはそんな
「ワカ」の基本概念が語られています。

そこでここからは
1アヤの内容に沿って
話を進めてゆきます。

1:ワカヒメ

和歌の始祖である
ワカヒメの生い立ちが語られます。

イサナギ・イサナミの両神が
ともに厄年にあたるとして

長女ワカヒメはまだ幼いながらも
一度離縁されることとなりました。

親もとを離れたワカヒメは
廣田の地にて住江の翁カナサキに養育されます。

1アヤでは
「ワカヒメ」とだけ記されており
「ヒルコ」「ワカヒルメ」とは
呼ばれていません。

展開によって時代を飛び越えるため
物語の主人公を見失わないようにする
配慮でしょうか?

イサナギ・イサナミの時代より
厄年などの天体の運行が重視されており

ことによっては
親子の縁を切ることまで行われていたようです。

また(豊受大神によって)
通過儀礼や年中行事も定まっており

養父となったカナサキは
両神の代わりにこれらを行っていました。

厄年などの年の巡りだけでなく
日や月の巡りも数えていた

ことがうかがえます。

離縁されたことを
「捨てられて」と表現しておいて

カナサキに養育されたことを
「拾った」と対比させつつ

「廣田」の地名も掛けるという
掛詞も登場しています。

2行目にして
特徴的な掛詞が盛り込まれているのも
和歌の指南書だからでしょうか。

2:アワウタ

アワウタによって
ワカヒメに言葉を教えるさまは

イサナギ・イサナミが
全国にアワウタを教えひろめたさまと
よく似ています。

文字と音を一致させて
言語の基礎を築いているようです。

アワウタは全48音であり
前半24音は父イサナギが歌い
後半24音は母イサナミが歌います。

五七調ですから
1行あたりは12文字です。

12というのは1年の月の数です。

日、月、年、と数えてきた数字が
4年(48月)で一巡りする
といっているかのようです。

「数える」というのも
「ワカ」の重要な要素であることが
1アヤの最後に明かされます。

3:東西南北と君

日・月・年
ヲシテ48音ときて

ここから
四方へと世界が広がってゆきます。

方位をあらわす「キツサネ」と
中央をあらわす「ヲ」について

さまざまな
「ヒ」を例にとって説かれてゆきます。

太陽の「日(ヒ)」は
・日頭(ひがし) 【東】
・皆見(みなみ) 【南】
・丹沈(にし)  【西】
・[夜]     【北】

です。

食事の「火(ヒ)」は
・火炊(ひがし) 【東】
・波々(みなみ) 【南】
・煮静(にし)  【西】
・[水]     【北】

です。

人間の「人(ヒ)」は
・会う(人出)  【東】
・漲身(みなみ) 【南】
・着(ツ)く   【西】
・寝(ネ)る   【北】

です。

これは生まれてからなくなるまでの
人生のひと巡りでもあります。

植物の「靈(ヒ)」となると
周期が1日ではなくて1年となり
四季にも対応させて
・萌(キざ)す [春]【東】
・栄(サか)える[夏]【南】
・色付(ツ)く [秋]【西】
・根(ネ)   [冬]【北】

となります。

「ヒ」とは
数字の「1(ヒ)」でもありますから
世間の物事を教えるのに
調度良かったのでしょう。

「四方」を示したうえで
「中央」には治めるものという意味の
「ヲ」があらわれます。

字形からみても
四方を統合したものという意味であり

「ヲヲンカミ(大御神)」
という言葉はそのまま
統治者の意味ととれます。

統治者が
男女一対の君(キミ)となったのは

天神4代のウビチニ・スビチニが
「木の実」を持って生まれたことによります。

ここでは
「后(ヒ)」とともにある
「貴(キ・男神)」がいかに
「実子(ミ)」を得て世を継ぐか
についても説かれていました。

きはひがし はなはもみなみ
このみにし みおわけおふる
きのみゆえ きみはをめかみ

ホツマツタヱ 1アヤ

この一節はそのまま読めば
「木実」と「君」の関係を
植物の周期から説いているようにみえます。

けれども
曲解をすればこうなります。

男神(キ)が人の頭となって
華々しく身(ミ)を飾ったところで
やがては衰えて潰えてしまいます。

「み・な・み」の
「み」をわけるように

栄華を后と分けあって
御子を得ることで
世は継がれてゆくのです。

だから君とは
男女一対の夫婦でなくてはなりません。

「貴(キ)」とともに「南(サ)」を
「わけて(割く)栄える(咲く)」から
「后(キサキ)」というのでしょうか。

男女の君(キミ)となることで
四方(国土)を永く治めてゆける
ということです。

もちろんここには
樹木のように長く繁栄する
という意味もあるのでしょう。

幼少教育においての
「四方」と「中央」の関係とは

「自」と「他」との境界や
「主体」と「客体」の関係のこと

でもあります。

こうして
自我の芽生えを促したともいえそうです。

4:祓い歌

天地と四方という森羅万象を学び
中央という自我が育まれたことで

ワカヒメの幼少教育はおわり
ここでおおきく時代が飛びます。

富士山麗で即位した天照大神が
伊勢への遷都を行った後のことです。

京丹後への行幸中だった
といいますから

豊受大神がなくなる前後
のことでしょうか。

ワカヒメは
厄年をおえたイサナギ・イサナミのもとに復縁して
キシヰ(紀州)に暮らしていました。

母イサナミがなくなったあとも
しばらくは弟ソサノヲの面倒をみながら
キシヰに留まっていたようですが

天照大神の遷都後には
伊勢で宮仕えしていたようです。

そんなときにキシヰの田畑が
イナムシ(稲虫)に襲われたという
知らせを受けました。

ワカヒメは
天照大神の正后セオリツヒメとともに
キシヰへ駆けつけると
32音のまじない歌を詠んだといいます。

オシクサ(カラスオウギ)を手に
ワカヒメ・セオリツヒメの2人は
侍女30人とともに

32音の祓い歌を
360回くり返して歌いました。

すると虫たちは
西の海へと去っていったそうです。

こうして田畑は若返り
ひとびとも沸き返ったので

ワカヒメが詠んだ虫祓いの歌は
「ワカノウタ」と称えられることとなりました。

そうして虫が祓われたキシヰの地は
「ワカ」の国というようになりました。

5:回り歌

ここでまた
時間がすこし飛びます。

和歌浦の玉津宮で暮らしていた
ワカヒメのもとに

勅使のアチヒコ(オモイカネ)が
訪ねてきました。

ワカヒメは一目惚れをしてしまい
思いかねたすえに歌を贈ったといいます。

このときの想いを
「焦がるる」と表現しているのですが

母イサナミを
火でなくしているワカヒメにとって
これはとても強烈な言葉です。

さらには
歌を渡すか渡すまいか
「思いかね」ていたそうです。

ここから
オモイカネにはすでに別の妻子がいた
という説もあります。

ワカヒメが贈った歌は
回文になっており
返事のできない歌だったといいます。

オモイカネは
この歌を朝廷に持ち帰って
カナサキに訊いたところ

カナサキもまた航海で嵐にあったとき
船を転覆させまいとして
回文の歌を詠んだそうです。

ホツマツタヱでは
回文の歌のことを
マワリウタ(回り歌)
と呼んでいます。

ここにはこう記されています。

わかひめの うたもみやびお
かえさじと

ホツマツタヱ 1アヤ

カナサキが
船を転覆させなかったように

ワカヒメの歌も
「ミヤビ」を返さないために
歌われたといいます。

「ミヤビ」とは
現在の「雅(みやび)」とは
意味が異なるものです。

心に沸きあがった情動
抑えきれずに溢れてしまった衝動

いうなれば
「恋心」をあらわしているようです。

ですからここは
「この気持ちを、なかったことにはしたくなかった」
「思いを伝えずにはいられなかった」

という意味でしょうか。

これにより
ワカヒメとオモイカネは結ばれました。

祓いの歌は32音で陰の歌であり
回り歌は31音で陽の歌である
といわれています。

キミや男女が結ばれて調うように
「ワカノウタ」と
「マワリウタ」が合わさって
「ワカ」が生まれました。

道を教え諭すという
言葉の呪力をともなう
ワカノウタと

返歌を求めずに
心の内を整えるという
マワリウタの関係は

四方(外)と中央(内)の関係
にも似ています。

こうして「ワカ」とは
ミヤビ(恋心情動)を秘めて
31音で詠まれるもの
となったようです。

「ウタ」が取れたことで
タカミムスビ家の秘術ではなく

万人が詠むことのできるものとなり
動詞のなかに「歌う」として残された
のかもしれません。

6:日扇

「ワカ」の教えを伝えるため
「日扇」が作られました。

ワカヒメは虫を祓ったさいに
押しつぶされたような12枚の葉をもつ
カラスオウギを

教えの種(くさ・押草)
として使いました。

この草は
ヌバタマという真っ黒な種からはじまり
夜明けのように真っ赤な花を咲かせます。

その半円形の姿は
東から昇って南の空に輝き西に沈むという
太陽の運行そのものであり
根の部分ではひとくくりとなっています。

そこで
カラスオウギに似せたものを
「桧(ヒ)」の板で作らせて

葉(橋)の数も
ヲシテの48音に合わせて
48枚とすると

ヒオウギ(日扇)
と呼びました。

もしかすると
開くと真っ赤で
閉じると真っ黒というような
扇だったのかもしれません。

ここでは
「カラス(烏)」や「ホノホ(炎)」
も詠まれていることから

母イサナミのクマ(厄)を祓う
という意味もあったのでしょう。

7:ソサノヲ

1アヤの最後で
ワカヒメは弟ソサノヲとの問答によって
「ワカ」とは何かを語っています。

五七調とは
天地の節によるといいます。

これは
1年365日を12月で割ったとき
31日が5回、30日が7回現れる
ことに由来するとぼくは理解しています。

また地球の公転軌道は楕円形になっているため
春分から秋分までは1か月あたり31日
秋分から春分までは1か月あたり30日に
満たないといいます。

これが
陽と陰の関係になっているのでしょう。

さらに
4年(48月)に1度差し挟まれる
閏日のある月が32日だったとすれば

この余分な1日に
魔物が入りこまないよう

声を1音余らせて32音とした
厄祓いの「ワカ」を詠んでいた
とも考えられそうです。

      うたのかずもて
わにこたふ これしきしまの
わかのみちかな

ホツマツタヱ 1アヤ

1アヤの最後はこのように
締めくくられているのですが
これはつまり

地(ワ)の巡りを
数(カぞ)えることも
「ワカ」の語源である

ことが書かれています。

暦の重要性にとどまらず
天体の運行から世の理を読みとき

心のうちに生じた願いを
歌に掛けて詠むことで

暮らしをより豊かなものへ
変えてゆくということです。

これに沿って歌が詠われたとき
それはただの願い事ではなく

魔法の呪文のように
現実を変えてゆくことになります。

これをふまえて
今回は『ワカノウタ』をみてゆきます。

ワカノウタ

1アヤのワカノウタ

たねはたね  うむすぎさかめ
まめすめらの そろはもはめそ
むしもみなしむ

ホツマツタヱ 1アヤ
田や畑の種
稲穂や大麦・小麦・
大角豆・大豆・小豆などの
穀物が繁る葉や実を

すべて食べてしまっては
あなたたち虫もやがて
食べるものがなくなりますよ

直訳としては
おおよそこのようになります。

「ネ(北)」「キ(東)」「サ・ミナ(南)」
が詠みこまれており

「沈む(西)」の
「シム」でくくられていますから

虫たちは西へ逃げるしかなかった
のでしょう。

田(タ)の東(キ)に立って
「タ」からはじまる歌を詠んだのも

東国のタカミムスビ家の秘術
「ウタ」によるのでしょうか。

虫たちのことは
1アヤの表題では「ホムシ」
本文では「ホヲムシ・イナムシ」
となっています。

「穂(ホ)」とは
「子種」のことでもあり

天照大神の御子も
「オシホミミ(天忍穂耳尊)」
といわれます。

また
「イナ」が数字の
「五七(ヰナ)」に掛かるとすれば

「イナムシ」とは
「五七調を蝕むもの」
とも訳せそうです。

つまりこれは
イサナギ・イサナミや
天照大神の治世に反するものたちが
現れたともとれます。

そうすると訳も変ってきます。

「タネハタネ」
田に仕える民(男)や
機織をする民(女)のこと
といえるでしょう。

「ウムスギサカメ」
そんな民から生まれた
心の真っ直ぐなひとびとによって
国が栄えているということです。

「マメスメラ」とは
忠勤(マメ)を尽くす臣と
ひとびとをまとめる守の皇(スメラ)
のことでしょう。

「ソロハモハメソ」
みなが揃っておなじ言葉を
口にして暮らしている
強固な国だといっています。

「ムシモミナシム」
皇統を蝕むあなたたちは
この国のひとびとによって
逆に鎮圧されてしまうでしょうといっています。

「シム」には
血族の意味もありますから
もとは同胞ではありませんかという
恭順を促しているようにもとれます。

民臣守が一丸となって立ち向かったので
虫たちは恐れをなして逃げたのでしょうか。

西の方角といえば
「ヒカワ(のちの出雲)」ですから

イナムシ騒動というのは
ハタレの動乱前夜のことなのかもしれません。

イナムシとは
稲を食べるイナゴのことだといわれます。

漢字にすればこれも
皇を蝕むと書いて
「蝗(いなご)」です。

これもまた
縁のないことではないのでしょう。

(つづく)

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