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検証誌136号 歌壇

検証ほつまつたゑ136号 ホツマ歌壇検証ほつまつたゑ

ホツマ歌壇

ホツマツタヱの研究同人誌・
『検証ほつまつたゑ よみがえる縄文叙事詩』には

読者が投稿した「歌」が掲載される
「ホツマ歌壇」のコーナーがあります。

和歌・短歌・長歌・俳句・自由歌など
五七調であればよいそうです。

第136号(令和6年12月号)には
ぼくの歌も掲載されましたので

当ブログでも
紹介させていただきます。

御祖

今号のお題は『御祖』で
「ちち」「はは」「みをや」
を詠みこむことだそうです。

ココナシの

ココナシの はなかおるや 西にしはは 道成みちなしてまた しなやかならむ

菊理姫尊こと、ココリヒメと
西王母こと、ウケステメの
交流を詠んでみました。

ココナとは菊菜であり
菊の古名だといいます。

また、ココナシとは
9の道を成しとげて
10に到達したという
意が込められるようで

ヒト(1~10・皇室)を称える
菊花紋に繋がるようです。

大陸での統治に
行き詰まりを感じたウケステメは
本流である日本へ遊学し

菊の花を食べて
身を清めるという方法を
教わりました。

「しなやかならむ」は
品の良さを称えるとともに

のちに「しな」となる
の意も込めています。

姫君も

姫君ひめきみも 瀬見せみ小川おがわに みそぐかも 御祖みをやおもふ 河合かわあいのまつ 

タマヨリヒメ(玉依姫)は
晩年になると

生誕地である
河合宮で暮らしたといいます。

そうしてなくなったあとは
夫のウガヤフキアワセズとともに
夫婦神として祀られました。

ウガヤフキアワセズは
本名ヰミナを「カモヒト」といい
「御祖神」と称えられたことから

これは京都府の
賀茂御祖かもみおや神社[下鴨神社]
のこととされています。

下鴨神社には
禊の川といわれる
瀬見の小川(せみのおがわ)
が流れていますが

タマヨリヒメもまた
この小川で禊を行っていた
のかもしれません。

父に告ぐ

ちちぐ ホツマのこころ しずまりて 熱田神あつたかみなる たみのタラチネ

ヤマトタケななくなったあと
父・景行天皇の夢枕にあらわれて
じぶんはソサノヲの転生であったと
告げました。

天孫ニニキネの活躍に魅せられて
ふたたびこの世に降りてきて
天皇の世に尽くしたことで

氷川ヒカワ神とされたソサノヲも
熱田アツタ神と称えられるヤマトタケに
なれたことで往生できたといいます。

天照大神がソサノヲにさとした
「晴れて明るき 民のタラなり」
という歌を

ヤマトタケとして生まれることで
ようやく成しとげることができたようです。

病み川の

かわの 蝕蛇叢雲ははむらくもお ムシりと シムおもくらむ はは若宮わかみや 
やみかわのははむらくもおむしとりとしむおもくらむははのわかみや

回り歌(回文の歌)です。

病み川(闇側)とは
ヒカワ(斐伊川)のことで
反乱軍ハタレたちの本拠地でした。

ヤマタノオロチを討ちとって
ハハムラクモの剣を得たソサノヲは

皇軍へと参加して
ヒカワの反乱軍を倒しました。

母イサナミの
クマ(災厄)が降りたとして
荒れていたソサノヲでしたが

その血脈(シム)を乗り越えて
皇統を蝕(ムシば)む流れを
断ったのでした。

チチトナル

チ〻トナル コモリノカミノ コタカラハ ハ〻フタリトコ ミソムナリケル
(父となる コモリの守の 子宝は 母二人と子 三十六なりける)

神代文字のヲシテを使った歌です。
HP上ではヲシテ表記できないので
カタカナ表記としています。

ソサノヲの曾孫であり
3代大物主となったコモリには

ふたりの后と
36人の子がいたといいますが

イクタマヨリヒメとのあいだには
男の子ばかり18人をもうけ

シラタマヒメとのあいだには
女の子ばかり18人をもうけるという
産み分けをおこなったといいます。

未掲載歌

このほかにも
未掲載となった投稿歌があります。

こちらに載せて
往生させようと思います。

フトマニの

フトマニの あめ音声ねこゑを とよませて ハラミをめぐる はは御心みこころ 

モトアケこと、フトマニ図は
天上世界を写し取ったものであり
豊受大神がまとめたといいます。

イサナギとイサナミはそこから
地のアワウタという48音の歌を作り
全国を巡って国を治めてゆきました。

さらに、ハラミ山(富士山)では
天のアワウタを詠みあげるという
「嫁ぎ法」をおこなったことで

イサナミは世継ぎの
天照大神を孕む(ハラミ)
ことができました。

豊受大神の娘であるイサナミは
天の意思や、本流をよくよく
理解していたといえそうです。

ココストの

ココストの みちえなば 春霞はるかすみ ちち面影おもかげ かさぬなり

春日大社にも祀られる
アマノコヤネ(天児屋根命)と

その父親である
ココトムスビ(興台産霊神)を
詠んだ歌です。

タマカヱシ(魂返し)という
修法を極めて

ココストの道を大成した
ココトムスビでしたが

アマノコヤネもまた
その法を受け継いで
次代に伝えていたようです。

タマカヱシが
はじめて行われた聖地は
いまでは失われているのですが

春日大社の麓の
猿沢池にその名がわずかに
残っているようです。

タマカヱシの大成とは
祝詞が完成したことではないかと
ぼくは読んでいます。

ときじくの

ときじくの かぐのお もちかえり ちちよりもなお したうヒトあり

タジマモリ(田道間守)は
垂仁天皇の命によって

常世国(相模のあたりか)まで
橘の原種(ヲシテ文献のことか)を
求めたといいます。

十年におよぶ特命のすえに
ようやく橘を分けてもらい

大和国(奈良盆地)まで
帰ってきたのですが

ときすでに遅く
垂仁天皇は身罷っていました。

天皇を慕うタジマモリは
そのままあとをおって
なくなったといいます。

タジマモリは
アメヒボコからつづく
帰化氏族ながら
代々皇室に厚く仕えてきました。

父という、氏族よりも
ヒトからつづく、皇室に仕えた
という歌となっています。

あわぎみの

あわぎみの うたまくらに あらわるる ははのまなざし ひともがな

「あわぎみ」とは、
イサナギのことをあらわしています。

歌枕というのは
イサナギの教訓より生まれたもので

歌のなかにこれを詠み込むことで
別の意味を持たせることができます。

その教訓というのも
妻イサナミとの関係より
生まれたものといえます。

なぜこれが歌枕として
いまでも残されているのかは

今後の研究によってさらに
読み解かれてゆくことでしょう。

オノコロと

オノコロと 地球くにたまならす 天御祖あめみをや ほコロびコロし ココロをさむる

オノコロとは
いわゆる「国生み」において
使われる擬音なのですが

ホツマツタヱをひもとけば
一音一音に意味があることが
よくわかります。

そのはじまりは
天御祖が地球を冷やしたさい

オ・ノ・コ・ロの手順で
ならしていったことに
由来するといいます。

ここから、
荒れたものを鎮めることを
コロすといったり

回って角が取れることを
コロぶといったりするようです。

また、こうして
手厚くなだめることを
ココロといったのが

いまの
心(こころ)や
掌(たなごころ)に
繋がるようです。

(おわり)

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