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京丹後めぐり19 豊受大神社

豊受大神社の境内京都

豊受大神社

京都府福知山市には
豊受大(とゆけだい)神社
があります。

4キロほど北にある
皇大(こうたい)神社

皇大神社の奥宮である
天岩戸(あまのいわと)神社
をあわせて

元伊勢三社(もといせさんしゃ)
というようです。

豊受大神社の参道
豊受大神社の参道の階段

元伊勢

元伊勢といえば
天照大神(あまてらすおおみかみ)
の御霊が

伊勢神宮に鎮まるまでに
祀られたことがある聖地のこと

なのですが

伊勢外宮のご祭神である
豊受大神(とようけおおかみ)
の御霊が

かつて祀られていた聖地も
伊勢外宮の元宮ということで
元伊勢といいます。

ここは
伊勢外宮の豊受大神が
祀られていたとされることから
元伊勢といわれています。

豊受大神社の境内

雄略天皇

伊勢の地に
天照大神の御霊が
祀られたのは

第11代・
垂仁(すいにん)天皇
の時代といわれていますが

伊勢の外宮に
豊受大神の御霊が
祀られたのは

第21代・
雄略(ゆうりゃく)天皇
の時代といわれます。

時代としては
ずいぶん開きがあるようです。

雄略天皇は夢のなかで
皇祖・天照大神の
お告げを受けたといいます。

丹波國比治乃真奈井尓坐
我御饌都神等由氣太神乎
我許欲

『止由気宮儀式帳』
丹波国の比治の真名井にいる
わが御饌つ神である豊受大神を
わたしのもとに欲しい

伊勢の外宮に伝わる
止由気宮儀式帳(とゆけぐうぎしきちょう)
にはこのようにあり

豊受大神が祀られていた
丹波国の比治の真名井が
豊受大神社である
とされるようです。

ただし、
豊受大神の元伊勢候補地は
ほかにも

比沼麻奈為(ひぬまない)神社
真名井(まない)神社
などがあるといいます。

豊受大神社の鳥居
豊受大神社の黒木鳥居の説明書き

船岡山

由良川(ゆらがわ)へそそぐ
雲原川(くもはらがわ)と

宮川(みやがわ)の
合流地点にある

船岡山(ふなおかやま)
という丘陵のうえに
豊受大神社はあります。

かつてはここを
比沼(ひぬ・ひじ)の
魚(まな・真名)井ケ原

といっていたらしく

これによって当社を
豊受大神の元伊勢とするようです。

豊受大神社の境内

この船岡山を
古墳とする説もあるといいます。

船岡山は川ぞいにあって
船形をしていることから

太古は
中州だったのでしょう。

中州を聖地として
神饌である魚をとる
湿地だったとすれば

沼のような地にある
魚(まな)飯(いい)原も
ありそうな気がします。

豊受大神社の境内

垂仁天皇

ホツマツタヱによれば
豊受大神が伊勢に祀られたのは

天照大神が伊勢に祀られたのと同じ
第11代・垂仁天皇の時代
だといいます。

      かみもよろこび
つげいわく むかしわがすむ
さこくしろ しきなみよする
いせのみや ながくしつまり
まもるべし とよけのかみと
もろともぞ

ホツマツタヱ 36アヤ
天照大神の御霊も喜んで
(ヤマトヒメに)告げていうには

むかしわたしが住んでいた
サコクシロウチ(内宮)は

敷波が寄せる
伊勢(妹背)の宮でした

わが御霊はここに
末永く鎮まりますので
この地を永く守りなさい。

この祭祀は
豊受大神の御霊と
ともにおこなうのです。

天照大神の御霊は
ヤマトヒメにこう告げたので

垂仁天皇は京丹後より
豊受大神の御霊を呼び寄せて


伊勢外宮の祭祀が
はじまったようです。

豊受大神社の境内

麻呂子親王

元伊勢・皇大神社の祭祀は
聖徳太子(しょうとくたいし)の弟・
麻呂子(まろこ)親王
鬼退治のさいに

天照大神の御霊を
祀ったことにはじまる
ともいわれます。

そのときに
豊受大神の御霊も
合わせ祀った
ともいわれ

これを
豊受大神社のはじまり
とする説もあるようです。

だとすれば、第31代・
用明(ようめい)天皇の
時代の前後ということになり

古墳時代に創建された
ということになるようです。

豊受大神社の境内

豊受大神

豊受大神社のご祭神は
豊受姫命(とようけびめ)
とされていますが

伊勢外宮の祭神とおなじ
というからには

豊受大神のこと
といっていいでしょう。

豊受大神社の境内

一般的に
豊受姫と豊受大神は
同一神といわれており

女神である
とされています。

けれどもホツマツタヱでは
豊受大神とは男神であり

天照大神の
母方の祖父とされています。

日高見国(ヒタカミ)という
東北地方を治める

高皇産霊(タカミムスビ)の
一族であり
5代目当主だったようです。

晩年は
6代目当主を息子に譲ると
宮津(ミヤヅ)に務めて
山陰地方を治めた
らしく

そのまま
宮津の地でなくなった
といいます。

その墓所は
朝日(アサヒ)宮といわれ

豊受大神は
朝日(アサヒ)神として
祀られたそうです。

この墓所の比定地のひとつが
豊受大神社といわれますから

船岡山が
豊受大神の墳墓だとしても
おかしくはないでしょう。

豊受大神について
詳しくはこちらの動画を
ご覧ください。

伊勢神宮においても
豊受大神とは
天照大神が敬った神であり
男女の別はないといいます。

皇大神社が
湿度のある陰の気・
谷の神社だったとすれば

豊受大神社は
乾燥した陽の気・
山の神社ともいえそうです。

豊受大神社の本殿

相殿神として
日子番能邇邇芸尊(ににぎ)
天児屋根命(あまのこやね)
天太玉命(ふとたま)

も祀られているようです。

摂末社

4つの摂社は
伊勢外宮とおなじく

土宮(つちのみや)
多賀宮(たかのみや)
月宮(つきのみや)
風宮(かぜのみや)


というようです。

豊受大神社の案内看板

本殿の東隣にあるのが
土宮です。

伊勢外宮と同じであれば
大土乃御祖神(おおつちのみおや)
がご祭神でしょうか?

豊受大神社の境内

本殿の西隣にあるのが
多賀宮です。

伊勢外宮と同じならば
豊受大御神荒御魂
(とようけおおみかみのあらみたま)
がご祭神でしょうか?

豊受大神社の境内

境内の北西は
月宮があります。

ご祭神は
月夜見尊(つきよみ)
でしょうか?

境内の北東には
風宮があります。

ご祭神は
級長津彦命(しなつひこ)
級長戸辺命(しなとべ)
でしょうか。

本殿をコの字にかこむ
37の末社はそれぞれ

37の社家が
ひとつずつ祀ったと
いわれるようです。

豊受大神社の末社

なかでも
おおきな末社が
御幸神社です。

ご祭神は不明ですが
社家のとりまとめ的な
役割なのでしょうか?

龍登の桧

皇大神社や天岩戸神社にも
龍燈(りゅうとう)伝承があり

龍が明かりを灯した
といわれるのですが

豊受大神社にも同じく
龍燈の杉(すぎ)
龍登の桧(ひのき)

がご神木となっていました。

豊受大神社の桧
豊受大神社の龍登の桧の説明書き

やはり、この地には
龍神にまつわる伝承も
あるのでしょう。

神楽殿には
藁で編まれた龍(蛇)
が奉納されていました。

豊受大神社の舞殿
豊受大神社の藁蛇

龍燈祭りにあわせて
作られたものらしく
目が光るようですね。

豊受大神社の桧

所在地

〒620-0325
京都府福知山市大江町天田内178−2

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京都の北にある丹後半島周辺をめぐります。

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