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京丹後めぐり20 まとめ

与謝野鉄幹と与謝野晶子の歌碑京都

丹後半島

若狭湾(わかさわん)
という日本屈指の大型湾の

西端にあるのが
丹後半島(たんごはんとう)
です。

このあたりはかつて
丹後国(たんごのくに)
といわれていました。

いまでは
京都府の北端にあることから
京丹後ともいわれるようです。

京丹後(きょうたんご)市
宮津(みやづ)市
与謝(よさ・よざ)郡
にわかれています。

与謝郡

若狭湾の内湾である
宮津湾(みやづわん)
には

日本三景のひとつ
天橋立(あまのはしだて)
で隔てられた

阿蘇海(あそのうみ)
という内海があります。

天橋立の眺め

野田川(のだがわ)
がそそぐ阿蘇海は

海水と淡水が混ざった
汽水となっていて

金樽イワシが
名産だそうです。

宮津湾は
与謝海(よさのうみ)
ともいわれていて

宮津市一帯もかつては
与謝郡だったようです。

天橋立の風景

現在の与謝郡は
丹後半島の突端にある
伊根(いね)町と

野田川上流ひろがる
与謝野(よさの)町
のことであり
飛び地となっています。

歌人・
与謝野晶子の夫である
与謝野鉄幹の実父の
故郷でもあります。

こうした縁もあって
与謝野鉄幹・晶子夫婦は
この地も訪ねていたようです。

与謝野鉄幹と与謝野晶子の歌碑

海人族

丹後半島の歴史には
海人(あま)族
がおおきく関わるようです。

古代における
海上の運行や流通を
司る氏族
だそうです。

こうした海人族の
長が暮らしていたのが

丹後国一宮の
籠(この)神社
といわれています。

籠神社の社号碑と鳥居

宮津湾の最奥部にあり
天橋立に隔てられた
阿蘇海はまさに

天然の軍港だった
ともいえるようです。

日本海にも
面していることから

諸外国との
交易の窓口でもあった
のかもしれません。

丹後半島東端にある
伊根町の

新井崎(あらいざき)神社には
徐福(じょふく)到来伝承
もあります。

また伊根町には
浦嶋子(うらのしまこ)を祀る
浦嶋(うらしま)神社もあり
浦嶋伝説の地でもあります。

浦嶋神社

伊根町の沖にある
沓島(くつじま・雌島)
冠島(かんむりじま・雄島)


籠神社の奥宮であり
浦嶋神社の竜宮城ともいわれ
海中遺跡もあるといいます。

浦島伝承は
天照大神の曾孫にあたる
ヒコホオデミ

山幸彦と海幸彦の神話
にも類似しているのですが

ヒコホオデミは
この兄弟喧嘩を機に
海人族との繋がりを強めた
ともいわれています。

ここにも
古代海人族の存在感を
見ることができそうです。

豊受大神

丹後半島は
豊受大神(とようけおおかみ)
の誕生地といわれるらしく

豊受大神を祀る神社が
たくさんあります。

真名井神社の参道

丹後国は、さらに古くは
丹波(たんば・たには)国
に含まれていたのですが

伊勢の外宮に祀られる
豊受大神の御霊は
丹波国から呼びよせられた

といわれており

外宮の元伊勢
であるようです。

比沼麻奈為神社の鳥居と社号碑

元伊勢

元伊勢というのは
伊勢の神宮祭祀がはじまるまでに

ご祭神の御霊が
祀られたことのある聖地
のことをいいます。

『倭姫命世紀
(やまとひめのみことせいき)』
によれば

天照大神の御霊が
2番目に祀られた聖地が

丹波国の
吉佐宮(よさのみや)
だといいます。

ですから
内宮の元伊勢
でもあるようです。

「吉佐(よさ・匏)」が
「与謝(よさ)」という
地名になったようです。

真名井神社の石碑

ただ、丹波国のなかでも
元伊勢の候補地は
たくさんあるようです。

宮津市の
籠(この)神社
眞名井(まない)神社

京丹後市の
藤社(ふじこそ)神社
比沼麻奈為(ひぬまない)神社

福知山市の
皇大(こうたい)神社
豊受大(とゆけだい)神社

などがあり
ほかにも

竹野(たかの)神社
笶原(やはら)神社

など諸説あるようです。

豊受大神社の境内

宮津

丹後半島には
宮津市があるのですが

ホツマツタヱにおいて
ミヤヅ(宮津)といえば

山陰地方を治める
地方政庁があった地

とされています。

和貴宮神社の神門

豊受大神といえば
ヒタカミ(日高見国)
[東北地方]を治める

タカミムスビ(高皇産霊神)の一族の
5代目当主だったのですが

晩年は
ミヤヅ(宮津)の政庁に務めて
サホコチタル(細戈千足国)
[山陰地方]を治めていたといいます。

そしてそのまま
豊受大神は
ミヤヅ(宮津)でなくなった
といいます。

天照大神は豊受大神より
最期の言葉を受け取ると

豊受大神の跡を継いで
ミヤヅ(宮津)に留まり
山陰地方を治めたようです。

このときに
側室のモチコとのあいだには
長男のホヒ(天穂日命)をもうけ

側室のハヤコとのあいだに
長女のタケコ(田心姫命)
次女のタキコ(湍津姫命)
三女のタナコ(市杵島姫命)
をもうけたといいます。

大宮売神社の鳥居

さらに天照大神も
晩年に伊勢の地でなくなるさい

豊受大神とともに眠りたいと
遺言していたことから

宮津の地へ運ばれて
豊受大神とともに祀られた
といいます。

ですから
ホツマツタヱからみると

丹後半島とは
天照大神や豊受大神が眠る聖地
といえます。

日室ヶ嶽の遥拝所

ホツマツタヱにおいても
第10代・崇神(すじん)天皇の
皇女トヨスキヒメ(豊鍬入姫命)は

天照大神の御霊を祀る
聖地をもとめて

ヨサ(与謝・吉佐)
へいったありますが

これも
天照大神や豊受大神が眠る聖地
だったからといえるでしょう。

竹野川

地方政庁があり
天照大神と豊受大神が眠る聖地
の宮津(丹後半島)は

古代から海人族によって
守られていた地であり

外海からの脅威にも
そなえられた地だった
といえるようです。

地図からみても
とても興味深いことが
わかってきます。

たとえば
日本海側に面した
京丹後市のほうは

竹野川(たけのがわ)
をさかのぼってゆけば

大宮売(おおみやめ)神社
比沼麻奈為神社など

丹後半島内陸にある
主要地へ着くことができます。

竹野川の源流は
丹後半島の最高峰である
高山のあたりです。

峠を越えれば
内湾の阿蘇海まで
ゆくことができますが

流れとしては
若狭湾(宮津湾)と
分断されています。

竹野川の支流には
鱒留川(ますどめがわ)
があります。

比沼麻奈為神社や
藤社神社を通って

信仰の山とされる
磯砂山(いさなごさん)
を源流としています。

藤社神社の風景

こちらも
藤社神社のあたりから
峠を越えれば

美浜湾のほうへ
抜けることができます。

竹野川や鱒留川の流域では
古墳や遺跡がたくさん
見つかっています。

鉄器・青銅器などの
精錬だけでなく

ガラス製品なども
作られていたといいます。

古代においては
産業的な主要地だった
といえそうです。

大宮売神社の境内出土品

丹波道主命

日本書紀によれば
第10代・崇神天皇の世には
丹波国の平定のために

丹波道主命(たんばのみちぬし)
が遣わされたといいます。

このときに
美浜一帯を治めていた
カワカミマス(河上之麻須)の
娘と結ばれたそうです。

のちに第11代・
垂仁(すいにん)天皇の后となる
ヒバスヒメ(日葉酢媛命)は
このおふたりの子です。

丹波道主命の居城は
比沼麻奈為神社の近くにある
船岡(ふなおか)神社のあたり
だったといわれるようです。

船岡神社の鳥居

この地の豪族であった
カワカミマスと血縁を結び
丹波(丹後半島)の地を
平定したのちに

崇神天皇の皇女
トヨスキイリヒメ(豊鍬入姫命)が
天照大神の御霊を祀った
という流れだったのでしょう。

またのちに
丹波道主命の娘たちが
采女や巫女として

豊受大神の御霊にも
奉斎したようです。

これが
乙女(おとめ)神社にのこる
羽衣伝説とも繋がってゆき

地上に残された天女のことを
豊受売(トヨウケメ)
といったようです。

豊受大神が
女神トヨウケメとされるのは

豊受大神の御霊に仕えた
丹波道主命の娘たちの
伝承によるのでしょう。

羽衣伝承の展示

ホツマツタヱで丹波道主命は
タニハチヌシ(タニハミチノウシ)
といわれています。

天照大神や豊受大神を祀る
ヨサ宮(吉佐・匏・与謝)の
祭祀がはじまると

食事を司る
御饌の守(ミケノモリ)
という役職に就いたようです。

伊勢外宮において
豊受大神が食事係とされるのは

タニハチヌシの役職である
御饌の守りからきているのでしょうか?

大江山

丹後半島の南には
大江山(おおえやま)連峰
があります。

ここには、
3つの時代にわたる
鬼伝説がありました。

鬼や土蜘蛛といわれる
一族はおそらく

製鉄技術をもった
渡来氏族や出戻り氏族
のことであり

大和朝廷に従わないまま
強大な勢力をほこっていた
と考えられるようです。

これも地図からみると
面白いことがわかってきます。

大江山を囲むように
河川が伸びていますが

由良川(ゆらがわ)から
宮川(みやがわ)をのぼり

峠をこえてから
大手川(おおてがわ)をくだる
というルートが

福知山市と宮津市を結ぶ
かつての街道だったと思われます。

こちらがいわゆる
表通りだったのでしょう。

裏通りというのは
由良川から
雲原川(くもはらがわ)をのぼり

峠を越えてから
野田川をくだって
阿蘇海に抜けるルートです。

裏通りでもある
与謝野町のほうはどこか

鬼の一族(製鉄民)と
ともに暮らしていた地だった

とも思えてきます。

そんな彼らは
海人族とも手を組んで

鉱物資源や鉄製品などで
貿易を行っていたのでは
とも考えてしまいます。

皇大神社の周辺地図

そうすると
籠神社のある阿蘇海とは

日本海側は
竹野川の勢力に守られ

内陸部は
大江山の勢力に守られ

宮津湾は
天橋立に守られていた
ということになり

まさに
鉄壁の軍港だった
と思えてきます。

和貴宮(わきのみや)神社では
伽耶国の姫ともいわれる

我野姫(かやのひめ)
を祀っていることから

やはり海外との交易も
盛んだったことでしょう。

京丹後めぐり ~終~

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京丹後めぐり
京都の北にある丹後半島周辺をめぐります。

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