引っ越し作業中

京丹後めぐり16 皇大神社

皇大神社の境内京都

皇大神社

京丹後の宮津駅より
12キロほど南へいった

京都府福知山市には
皇大(こうたい)神社
があります。

こちらもまた
元伊勢(もといせ)
とされる神社です。

皇大神社の参道

元伊勢

宮中で祀られていた
天照大神の御霊(鏡)は

第10代・
崇神(すじん)天皇の世に
皇居の外で祀られることに
なったといいます。

天照大神の御霊(鏡)ははじめ
大和の笠縫(かさぬい)
祀られていたのですが

のちに
各地をめぐりめぐって

第11代・
垂仁(すいにん)天皇の世には
伊勢で祀られるようになりました。

これにより
伊勢の神宮祭祀がはじまった
といわれています。

伊勢にたどり着くまでに
天照大神の御霊(鏡)が
祀られた聖地


元伊勢(もといせ)
といわれています。

元伊勢三社

吉佐宮

大和の笠縫のつぎに
天照大神の御霊(鏡)が
祀られたのが

丹波国の
吉佐(よさ)宮
といわれているのですが

皇大神社は
吉佐宮の候補地
とされています。

京丹後めぐり
のなかで訪ねた

籠(この)神社
真名井(まない)神社
比沼麻奈為(ひぬまない)神社
藤社(ふじこそ)神社

も吉佐宮の候補地
とされていますが

福知山市にある
皇大神社はまさに

伊勢内宮こと
皇大神宮(こうたいじんぐう)
にも通じる社名であり

社号碑にも
「元伊勢」を掲げています。

皇大神社の社号碑

吉佐宮の候補地は
ほかにも

京丹後市にある
竹野(たかの)神社

舞鶴市にある
笶原(やはら)神社
などがあるようです。

どちらも、第10代・
崇神天皇の皇女である

豊鍬入姫命(とよすきいりひめ)
が天照大神の御霊(鏡)を
4年間お祀りした地とされています。

皇大神社の鳥居と里山

またこの地では
元伊勢三社として

皇大神社とともに
天岩戸(あめのいわと)神社
豊受大(とゆけだい)神社

が祀られています。

天岩戸神社は
皇大神社の奥宮であり

豊受大神社は
伊勢の外宮こと
豊受大神宮(とようけだいじんぐう)
の元宮
とされているようです。

皇大神社の参道

天照皇大神

樹皮がついたままの
木で作られた
原初的な鳥居のことを

黒木鳥居(くろきとりい)
というようですが

皇大神社にはそんな
珍しい黒木鳥居があります。

皇大神社の境内

社務所の前を通って
この黒木鳥居をくぐると
空気が一変します。

皇大神社の境内

本殿のある境内地は
80余の末社に囲まれており

まさに神域というように
厳かで張りつめていました。

皇大神社の末社
皇大神社の末社

ご祭神は
天照皇大神
(あまてらすすめおおかみ)
です。

日本神道における
最高神
であり

太陽の神であり
皇室の祖神であり
国民の総氏神とされています。

この世界を
あまねく照らすことから
「アマテラス」の名が
ついたともいわれています。

皇大神社のご祭神・天照大神の絵

一般的には
女性神として
描かれていますが

ホツマツタヱでは
男性神です。

境内の厳かな雰囲気も
どこか男性的に感じられました。

皇大神社の社殿

境内地を囲む社は
全国の一宮を祀るといわれ

ここがまるで
日本国の中心であるかのように
思えてきてしまいます。

龍灯の杉

本殿脇にある
御神木の杉は

節分の夜になると
龍が火を灯すといわれ

「龍灯の杉」と
呼ばれているようです。

皇大神社のご由緒

摂社

本殿の
東の摂社には
天手力雄命(あめのたぢからお)

西の摂社には
栲幡千千姫命(たくはたちぢひめ)
が祀られています。

これは
伊勢内宮(皇大神宮)に
合わせたものであるらしく

伊勢の内宮でも
相殿神として

東に天手力男神
西に万幡豊秋津姫命
が祀られているといいます。

アメノタチカラオ神社

天手力雄命といえば
天照大神の岩戸隠れにおいて
天岩戸を投げ飛ばした神

もしくは
天照大神の手をひいて
天岩戸の外に出した神
とされています。

天照大神を
この世界に繋ぎとめた神
といえるでしょう。

タクハタチチ姫神社

栲幡千千姫命といえば

天照大神の世継ぎである
天忍穂耳尊(おしほみみ)の
になられたかたです。

天照大神の孫であり
天忍穂耳尊の世継ぎである
瓊瓊杵尊(ににぎ)を
産んだ母
でもあります。

ホツマツタヱによれば
夫のオシホミミがなくなると

伊勢の天照大神に
よく仕えたともいうようです。

そうした縁から
天照大神とともに
祀られているのでしょう。

皇大神社の石碑

さらに
ホツマツタヱ的に
深読みするならば

中央の主祭神は
男神・天照大神であり

西は
天照大神の后である
セオリツヒメ(瀬織津姫)

東は
天照大神の御子である
オシホミミ(天忍穂耳)

を祀っていた名残
なかもしれませんね。

末社

80余の末社のなかでも
三女神社
熊野神社
は摂社の前にあり
別格のようでした。

皇大神社の摂社・三女神社

三女神社は
宗像三女神(むなかたさんにょしん)
を祀るようです。

ホツマツタヱでは
天照大神の3人の娘
にあたるかたです。

ご祭神にあわせるように
3匹のカエルの像もありました。

皇大神社の蛙像

熊野神社は
和歌山県の熊野三社を
祀る社なのでしょう。

皇大神社の末社・熊野神社

ホツマツタヱで
熊野神といえば

天照大神の母である
イサナミ
のことです。

天照大神ゆかりのかたがたが
大切に祀られているのでしょう。

天皇神道

80余の末社に囲まれた
境内地のすぐ東には

岩長姫命社
天龍八岐龍神社

がありました。

岩長姫命社

こちらは
皇大神社の管轄外であり

天皇神道という
宗教団体の社だといいます。

皇大神社が一時期
荒廃していたさいに

こちらの団体が
入ってきたらしく

裁判のすえに
和解となってこのように

皇大神社の境内地に
天皇神道の社が祀られる

という形になったようです。

岩長姫命社の由緒

岩長姫命社に祀られている
岩長姫命(いわながひめ)
といえば

一般的には
天孫(天照大神の孫)・
瓊瓊杵尊の義姉であり

不美人であることを理由に
天孫・瓊瓊杵尊から
結婚を断られた
といいます。

皇大神社の塚

岩長姫の妹の
木花咲耶姫(このはなさくやひめ)

とても美しかったので
天孫・瓊瓊杵尊と結ばれた
といわれています。

妹の木花咲耶姫には
花のように繁栄する願いが

姉の岩長姫には
岩のように永遠となる願いが
込められていたようですが

天孫・瓊瓊杵尊は
姉の岩長姫を断ったために

ひとびとは生命が短くなった
ともいわれるようです。

皇大神社の谷

この神を
神奈川県藤沢の地にて

渡邊兼子さんという方が
感得したことで
天皇神道ははじまったようです。

天皇神道の案内

岩長姫といえば
みにくい存在といわれますが

それは、みにくいではなく
見えにくい存在であり
霊性にすぐれた存在だった

とも考えられるようです。

ですから
各地の伝承によっては

姉の岩長姫もまた
瓊瓊杵尊の子を孕んでいた
ともいわれるようです。

皇大神社の谷間

興味深いのはここに
天龍八岐龍神社があり

八岐大龍神として
八岐大蛇(やまたのおろち)
が祀られているということです。

天龍八岐龍神社

ホツマツタヱにおいて
八岐大蛇といえば

天照大神の妃のひとり
コマス姫ハヤコ
に所縁があります。

天照大神の三人の娘の
であり

姉のモチコとともに
天照大神の正后の座を
狙っていたようですが

失敗して左遷されると
反乱軍(ハタレ)へと
くわわりました。

オロチと化した姉妹は
皇軍に討たれてしまうのですが

のちに
ハヤコは転生して
イワナガヒメとして
産まれてきた
といいます。

だとすれば
ここに祀られているのは

ハヤコの御霊
といえるのかもしれません。

天龍八岐龍神社

ホツマツタヱでは
反逆者とされていますが

当人たちにはなにか
言い分や深い思いがあった
のでしょうか。

やや異質な感じのするお社ですが
個人的にはとても好きなお社です。

麻呂子親王

参道の階段を
のぼったさきには

麻呂子(まろこ)親王
の手植えと伝わる
おおきな杉がありました。

皇大神社の参道
麻呂子杉の由来

聖徳太子(しょうとくたいし)
の腹違いの弟であり

第31代・
用明(ようめい)天皇
皇子にあたるかたです。

当麻皇子(たいまのみこ)
ともいわれていたようで

古代氏族のひとつ
当麻氏にも関わるようです。

麻呂子親王は
この地をさわがせていた

英呉・軽足・土熊という
3人の賊(鬼)を討つために
派遣された
といいますが

そのさいに
勧請した社が当社のはじまり
という説もあるようです。

皇大神社の杉

3人の賊にあわせて
3本の杉を植えたそうですが

落雷などによって失われ
1本のみが残っているようですね。

皇大神社の真名井の水

杉のちかくには
真名井の池もありました
湧き水でしょうか。

この水の霊威によって
杉も巨木へと成長したのでしょうか?

白玉(石)を
水ですすいでいるのも
とても意味深です。

御門神社

参道の脇には末社の
御門(みかど)神社
が祀られています。

門の神である
奇岩窓神(くしいわまど)
豊岩窓神(とよいわまど)

が祀られているようです。

皇大神社の末社・御門神社
皇大神社の末社・御門神社の由緒書き

また、かたわらには
古墳らしき岩室もありました。

ここで
カワラケ割りの神事
が行われるようですが

「みかど」というからには
「帝」のように

高貴なかたが眠っていた
のかもしれませんね。

皇大神社の御門神社の石室

参道を登りくるひとを
見定めるような高台にあり

まさに門番のような
社となっています。

節分の
厄除け神事では

「三鬼打」という
豆まきがあるようですが

これも
麻呂子親王が討ったという
3人の賊(鬼)に由来する
のでしょう。

鬼のうちのだれかが
改心してここに葬られ

門番となっている
のかもしれませんね。

皇大神社のカネのなる石

御門神社のとなりには
石で打つと
金属音がするという

カネのなる石
もあります。

鎮魂のための
鐘の音でしょうか?

日室ヶ嶽

皇大神社から
天岩戸神社へは
参道がつづいています。

天岩戸神社への看板

ここをゆけば
皇大神社のご神体山
といわれる

日室ヶ嶽(ひむろがたけ)
の遥拝所があります。

日室ヶ嶽の遥拝所

ピラミッドのように
美しい円錐形をした
日室ヶ嶽は

頂上に
磐座のような巨岩も
あるらしく

古くより信仰の山
だったようです。

「一願さん」とも呼ばれ
一つだけ願い事をすれば叶う
という信仰もあるといいます。

また夏至の日に
遥拝所から眺めれば

太陽は
日室ヶ嶽の頂上に
沈んでいくといいます。

ホツマツタヱからすれば
天照大神や豊受大神の
墓所の候補地
ともいえます。

だからこそ
日(天照大神)の
室(墓所)と
名づけられるのでしょうか?

日室ヶ嶽が
大江山連峰の
ひとつであり

大江山と
日室ヶ岳を結ぶ線は

伊勢の皇大神宮にも
つながります。

さてここからは
元伊勢三社のひとつ

天岩戸神社へと
向かうのですが

その前に
大江山の鬼伝説
をまとめます。

所在地

〒620-0323
京都府福知山市大江町内宮217

京丹後めぐり17

全記事リスト

京丹後めぐり
京都の北にある丹後半島周辺をめぐります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました