引っ越し作業中

高島のひなまつり

川島酒造の集合写真イベント

高島・日吉ツアー

3月30日、31日と
琵琶湖の高島・日吉ツアー
に参加していました!

初日は
ホツマツタヱの聖地といわれる
滋賀県高島市です。

最古のホツマツタヱ写本が
全巻そろって見つかった地
であり

ホツマツタヱの神々に
由来する神社もたくさんあります。

今回は
ホツマツタヱの写本を残した
和仁估安聡(わにこやすとし)
さんの

子孫にあたるという
井保國治さんにも
エスコートいただきました!

川島酒造の集合写真

川島酒造

まずは
川島酒造さんを見学です。

西近江の地酒
「松の花」で知られる
酒蔵さんなのですが

ホツマツタヱ愛好家からすると
古代文字のヲシテをあしらった
「ササケ」を求めてしまいます。

松の花 特別純米原酒 ササケ 720ml
縄文時代に成立したとされる日本文化を綴った古代文字「ホツマツタヱ」には、日本酒の原点が高島市にあると書かれているそうです。 そんな古代ロマンをテーマとしたお酒で、県内産玉栄を使用した精米歩合60%の特別純米原酒。 玉栄由来の旨みとコクが味わえるお酒です。

ホツマツタヱにも明るい
川島会長みずから
ご案内くださいまして

高島と酒の関係を
語ってくださいました。

川島酒造の酒蔵
川島酒造の酒蔵

お酒とホツマツタヱに対する
情熱が本当にすばらしく

お会いするたびに
いつも元気をいただいています。

川島酒造の酒蔵
川島酒造の酒蔵

酒蔵のなかまで
見せていただき感動です。

川島酒造の酒蔵
川島酒造の酒蔵

また最近では
ウィスキーの取り扱いも
はじめたといいます。

ウィスキー樽

↓川島酒造さんのHPはこちらです。

西近江の地酒 松の花|川島酒造株式会社 滋賀県高島市
慶応元年(1865年)創業。滋賀県高島市新旭町の川島酒造株式会社は恵まれた自然の中で創業以来150年余りたえず飲む人の健康を考え、本物の味を求めて酒造り一筋に歩んでいる蔵元です。

もちろん自宅用に
買って帰りました!

川島酒造のササケ
川島酒造の酒蔵

JIBIE STORE

つづいて訪れたのは
川島酒造さんのすぐ近くにある
JIBIE STOREさんです。

こちらでは
お米から作ったヨーグルト
「シュワグルト」をはじめ

たくさんの
腸活発酵フードを扱っています。

弥生時代から受け継がれる
植物性乳酸菌を使って
米粉を発酵させているそうですね。

店舗名のJIBIEとは
「滋美恵(ジビエ)」
の字を宛てるようですね!

お米ヨーグルトは新感覚で
普通のヨーグルトよりは
やや酸っぱいようにも感じましたが

もともとがお米ですから
日本人の身体には
とてもよく合うらしく

お腹をくだすことも
ないのだそうです!びっくり!

【公式】お米のヨーグルト シュワグルト 腸活 発酵食品 JIBIESTORE[滋美恵ストア]
お米から作ったヨーグルト「シュワグルト」などの腸活発酵フードで植物性乳酸菌腸活はじめませんか?JIBIESTORE滋美恵(ジビエ)ストアは日本人の暮らしに溶け込む腸活習慣をサポートします。

艸楽園

本日のメイン会場は
鵜川のしらひげの森にある
艸楽園(そうらくえん)さんです。

美しい琵琶湖を守るため、オンライン署名にご協力ください。里山の重要性を皆さんで考えませんか?
2025年の重要課題です。 国道161号バイパス小松拡幅「山側バイパスルート」で計画進行しています。 艸楽園のある棚田を大きく分断し、艸楽園の目の前を高架が走る予定に変更がありました。 里山の水脈、水路をこれ以上破壊することは、美しい琵琶湖の源に関わってきます。 必要に迫られる事業ではありますが、見えないところで取り返...

草を楽しむ、草で楽になる
というテーマのもとに

食の自立、病からの自立、
人と繋がり、共に学び合う場
を目指しているといいます。

艸楽園からの眺望

代表の吉川さんは
さまざまの薬草、薬木を植え育て

人々の健康と癒やしの場所にしようと
整えているそうです。

ここにはたくさんの
動物たちもいました~!

艸楽園の馬

今回は艸楽園さんの
「もりの学び舎 新進舎」と

社会派イラストレーター
牛嶋浩美さんのコラボ企画で

『縄文ひなまつり』
というワークショップが
おこなわれました!

牛嶋さんといえば
書籍出版のさいに

編集長の磐崎さんとの
ご縁を繋いでくださったかたです。

ぼくにとっても
返しきれない恩義を感じております。

土偶造り

まずはじめは
土偶作りワークショップです。

牛嶋さんが用意してくださった
粘土と資料とサンプルを眺めながら
とにかく手を動かしてゆきます。

牛嶋さんの土偶
土偶つくりワークショップ

土偶のことは
以前にすこし調べたのですが

そのせいかはじめは
頭でっかちになってしまい
なかなかうまくゆきませんでした。

そこで気分転換にと
人形型ではなく

お面型のものを
つくりはじめると

これがとても面白くて
調子が出てきました。

そうしてできたのが
こちらです。

NAVI彦の土偶
NAVI彦の土偶

お面土偶のほうは
表にも裏にも顔があります(笑)

人形土偶のほうは
頭にお花が咲いている土偶
にしたかったのですが

最終的には
頭が大きくふくらんだ

脳みそからっぽ土偶
ができました。

NAVI彦の土偶

なんだかむかし観た
『マーズアタック』という
映画のようになりました、、、

さてさて形ができましたら
窯のまわりで乾かしてゆきます。

艸楽園さんには
竪穴式住居があり(!?)

艸楽園の竪穴式住居

中央の炉(窯)に火を焚いて
そのまわりで土偶たちを
乾燥させてゆきます。

竪穴式住居の窯と土偶

どの土偶も
それぞれ魅力的で

なんだかとてもとても
幻想的な光景となりました!

竪穴式住居の窯

ひなまつり

3月31日前後は
旧暦の3月3日ごろだ
ということで

「ひなまつり」を祝うべく
ひなまつりご飯を
みんなで囲みました。

ひなまつりの夕食

艸楽園さんには
お釜もありますので

お釜で炊いたご飯を
みんなでいただきます。

ひなまつりの夕食

しゃもじが大きくて
なんだか面白かったので
写真を撮ってもらいました。

ひなまつりの夕食

主催の河内さんは
ホツマツタヱ1アヤの
紙芝居を用意しており

子どもたちにもわかりやすく
ホツマツタヱのお話をされていました!

そのあり方やお姿は
本当に素晴らしいものでした!

懇親会

食事のあとには
懇親会がありました。

きょうお世話になった
みなさまが集まって
お酒を呑み交わします。

宴席でぼくは
「ホツマツタヱからみるひな祭り」
というお話をさせていただきました。

そのときのお話を
ここにも載せておきます。

ひなまつりの講義

ひなまつり考

こんにちは、NAVI彦です。

きょうは
ホツマツタヱからみる
「ひなまつり」について
お話をさせていただきます。

「ひなまつり」といえば
3月3日です。

ひな人形を飾って
女の子の健やかな成長を祈る行事
といわれています。

旧暦の3月3日はちょうど
今ごろ(新暦3月31日前後)
だそうです。

4月頭といえば
「桃」が咲くころですから
桃の節句というようですね。

古代中国では
3月3日は陰の気が強まる日
といわれており

川で禊をおこなったあと
桃の花を浮かべたお酒を呑む

という風習があったそうです。

これが
平安時代ごろに
日本にはいってくると

日本で流行っていた
「ひいな遊び」
という人形遊びと結びついて

現在のような
ひな人形を飾る風習
になったといいます。

「人形」というのは
日本独自の文化である
ようです。

西王母

ではなぜ「桃」かといえば
古代中国の女神であり

蟠桃園(ばんとうえん)という
桃園の女主人でもある

西王母(せいおうぼ)
という天女さまに関わるようです。

西王母の誕生日が
3月3日といわれており


西王母の誕生日を祝う
蟠桃会(ばんとうえ)という祭りにおいて
中国では桃が食べられていたようです。

ホツマツタヱには西王母も
「西の母」として登場しています。

日本に遊学したさいに
ココリヒメ(菊理媛)と
姉妹の契りを結んだといいます。

ですから、西王母は
日本の知識を持ち帰って
大陸で広めていたともいえるでしょう。

ひな壇

日本のひなまつりでは

1段目には
男雛(おびな)・女雛(めびな)
が並べられます。

地域によって
左右の位置は違うようですが

古式では
左が男性、右が女性です。

「おだいりさまと おひなさま」
という歌にあるように

「お内裏(だいり)」とは
宮中の天皇陛下が住まれているところですから

ひな人形というのは
皇室や宮中のようすをあらわしている
といわれています。

2段目には
三人官女(さんにんかんじょ)

3段目には
五人囃子(ごにんばやし)
ときまして

4段目には
左大臣と右大臣による
随身(ずいじん)
が並んでいます。

随身の間には
菱餅(ひしもち)
が飾られます。

5段目には
仕丁(しちょう)
が三人並んでいます。

雑務をこなす役人
もしくは宮中を守る兵士
といわれています。

仕丁の左には桜
右には橘が飾られます。

これはいわゆる
「左近の桜、右近の橘」
といわれるものですね。

さらに大きいものだと
6段・7段とつづいて

嫁入り道具や
輿入れ道具が並べられます。

ウビチニ・スビチニ

ホツマツタヱによると
ひな祭りは日本由来です。

日本最古の結婚式
がそのはじまりです。

伊勢神宮では
日本の最高神として
天照大神が祀られておりますが

天照大神よりもさらに
4代前にまでさかのぼります。

ウビチニ・スビチニ
というかたが

はじめて
「夫婦」という関係をむすんで

男女の夫婦神として
国を治めるようになりました。

このかたがたは
生まれたときに
木の実を持っていたらしく

それを植えたところ
3年後の3月3日に花がたくさん
「もも(百)」に咲いたので

その木を
「もも(桃)」と名づけたそうです。

雛ヶ嶽(ひながたけ)という
山のふもとで生まれたことから

幼いときには
「モモヒナギ」「モモヒナミ」
といわれていました。

やがて
おふたりが結婚をされるときには
桃にちなんで

3月3日に結ばれることとなり
3つの盃で3回ずつお神酒を呑むという

三々九度(さんさんくど)
も行われたといいます。

ちょうどこのときは
日本最古のお酒(ササケ)
も作られたころでした。

こののちに
床に入って結ばれると

3日目の朝には
川で禊をおこなったそうです。

こうした結婚の儀式を
「ヒナガタ(雛形)」
といっていたようです。

スクナヒコナ

天照大神の時代になると
身代わり人形を作って
厄払いをするという風習

が生まれました。

とくに
子を孕んだ母親には

嫁入り道具として
身代わり人形が持たされ

お腹の赤ん坊に
厄がつかないようにしたといいます。

こうした風習が
スクナヒコナ
という神さまによって

「ひなまつり」としてまとめられ
女性を守護する祭となったようです。

ひなまつりを弘めた
スクナヒコナは

琵琶湖の南東にある
沙沙貴神社の周辺にあらわれた
ともいわれており

滋賀県にとっても
ゆかりが深いかたといえます。

スクナヒコナがひろめた
「ひなまつり」はすでに

男女の人形を祀るもの
だったと思われます。

ただし
モデルとなっていたのは

結婚式の儀式を作った
ウビチニ・スビチニの姿ではなく

伊勢内宮の祭神でもある
天照大神だと考えられます。

天照大神・瀬織津姫

ホツマツタヱでは
天照大神(あまてらすををんかみ)
は男神として描かれています。

ですから
お后さまがいます。

お后さまの名を
瀬織津姫(セオリツヒメ)
といいます。

ひな祭りの
男雛と女雛の姿は

男神・天照大神と
女神・瀬織津姫の
姿を写している
といえます。

伊勢(いせ)という言葉も
女と男という意味の

妹背(ゐもをせ)が
語源になっていまして

天照大神と瀬織津姫の
夫婦関係をあらわしています。

五男三女

天照大神には
八人の子どもが産まれている
のですが

そのうち
三人が女の子
五人が男の子
となっています。

三人の女の子が
雛段の2段目に並ぶ
三人官女であり

五人の男の子が
雛段の3段目に並ぶ
五人囃子であるようです。

だとすると
雛段の4段目の
左右の大臣(随身)は

天照大神の祖父である
豊受大神

家老的な立場にあった
住吉大神ことカナサキのこと
なのでしょうか。

子の神

雛段の5段目に並ぶ
三人の仕丁とは

子育ての神さまとされる
コヤネ神
コモリ神
カツテ神

といえます。

コヤネ神とは
春日大社でも祀られている
天児屋根命(アマノコヤネ)
のことです。

子種を祈る神であり
子を宿すさいの
屋根となるかたです。

コモリ神とは
子守神(こもりがみ)
のことです。

お腹に籠(こも)る
胎児の成長を守る神です。

コモリは幼名を
ヨロギマロというのですが

JR安曇川駅の近くには
與呂伎(よろぎ)神社があり

万木(よろぎ)という
地名にもなっているように

高島のあたりで生まれたか
もしくは住んでいたようです。

カツテ神は
奈良の葛城や吉野で祀られる
勝手神(かってがみ)
のことです。

出産を守護する神であり
助産師の名医でした。

ホツマツタヱでは
カツラギカツテといわれ

ヒトコトヌシ(葛城一言主)の
子にあたります。

ホツマツタヱでは
子を産むことを
なによりも大切にしています。

ですから
男女の婚姻だけでなく

そのさきを見据えて
子を産む守護神まで
祀られているようです。

菱餅

「菱餅」もホツマツタヱから
読み解くことができます。

ホツマツタヱには
「さいわひひし(幸菱)」
という言葉がでてきますが

どうやらこれが
由来となっているようです。

もともと
男女が触れ合うという意味で

「さいあい(触い合い)」
という言葉があったらしく

ウビチニ・スビチニが
これを行っていたようです。

こうしたことから
男女睦まじくあるように
という教えを弘めるため

「さいあいべし」
という言葉ができたようです。

さらにそれを教訓として
わかりやすく身に着けられるよう
図形(紋)となりました。

「さいわひ」は「幸い」
「べし」は「菱(ひし)」
に例えられて

「幸菱(さいわひびし)」
という紋ができたようです。

これは
婚礼の衣裳や産着に
染められたらしく

はじめは天孫ニニキネと
コノハナサクヤヒメが産んだ
三つ子に着せられたようです。

ひなまつりの菱餅は
「幸菱」を餅としたもの

とみることができます。

餅(もち)とは
望(もち)のことであり

満月(望月)のように
円満であること
の意味が掛かっています。

ですから菱餅とは
夫婦円満の教えが説かれている
といえそうです。

さらに
菱餅が三色であるのは

天孫ニニキネと
コノハナサクヤヒメが産んだ
三つ子の

ムメヒト(梅・ホノアカリ)
サクラギ(桜・ホノススミ)

ウツキネ(卯・ホオデミ)

によるのでしょう。

梅の実の「青(緑)」
桜の花の「赤(桃)」
卯の花の「白」が掛かって
3色になったのでしょう。

これもまさに
ホツマツタヱからでなければ
読み解けないことといえます。

いまでは
「さいあい」には
「最愛(さいあい)」
の字が宛てられるのですが

これも
ウビチニ・スビチニという
夫婦神によるとすれば

歴史の深いことだなあと
思われます。

こうみてゆきますと
ひなまつりというのは

ホツマツタヱの教えを残す
とても面白いお祭りであるといえます。

以上です。

ホツマツタヱの輪が
ひろがってゆく
素晴らしい一日でした😆

2日目 へ つづく

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